2008年3月28日金曜日

「ドラッグストア・カウボーイ」を観る

ガス・ヴァン・サント監督、マット・ディロン主演の「ドラッグストア・カウボーイ」を観る。

この作品は、ちょっと乱暴ですが、要するに「超自己中心的で身勝手な男が、モラトリアムを卒業して、一人の男としての自覚に目覚めていく」みたいなことなんですね。

そこに“ドラッグ”が絡んでくるかどうかの話だけで、基本的には、そういう話なんです。
個人的に、サイケデリック・エクスペリエンスやヒッピー・ライフに対する憧れみたいのは全くないので、この作品についても、まぁ、そういう捉え方になっちゃう、というか。


と、やや貶める感じで書き出しましたが、俺が思うこの作品の良さっていうのは、シナリオとは別の所にあるワケで。
それは、例えば、ディテール。
微妙に揺れるカメラワークや、空の色、道路を走る車の車内から外を撮ったショット、注射器で打とうとした瞬間に邪魔が入って悔しがる表情と仕草とそのタイミング、ドアを開けて訪問者に銃を突きつけるショット(二丁目の拳銃が脇からスッと入ってくる)、電球が明るくなる瞬間をアップで捉えたショット、などなど。
あと、やっぱりマット・ディロンの仕草なんかは、いちいちどれもクールだし。
何もしてない時に画面にどう映るか、ただ黙ってても画面の中にちゃんと収まっていられるか、立っているだけで(まぁ、存在感ってことですが)画として成立するか、とか、そういう所が“いい俳優”の条件だと思うんですが、そういう意味では、この作品のマット・ディロンは完璧ですよねぇ。
一人で、ただ、色々なことを考え、思い悩みながら、ま、その間セリフがない場合が多いんですが、それでもちゃんとお芝居を成立させる、と。
ガス・ヴァン・サント監督は、ホントにそれが旨い。

そういうディテールの積み重ねで、実はなんてことないストーリーを、最後までちゃんと引っ張っていく、と。まぁ、それが俺なりの解釈なんですが。


とにかく、そんな感じで、勉強になるな、と。ホントに。
俺にとっては、そういう作品ですね。低予算で作られてるんだろうな、という意味でも。





DMMでレンタルも出来ます。
>>>ドラッグストア・カウボーイ
>>>エレファント

2008年3月27日木曜日

「狼の街」を観る

レンタル屋さんで、ジャケットの写真とタイトルに惹かれて借りてきた、「狼の街」という作品を観る。

ま、いわゆるB級のジャンル映画なんですが、なかなか良かったです。
主人公は、湾岸戦争に出兵していた元海兵隊員ということで、作られたのは3,4年前ですから、まぁ、イラク戦争のことを十二分に意識した設定ですね。
舞台は、ワリとローカルな街。アメリカです。その街を仕切るマフィアたちとFBIの、マフィアの世代抗争も絡めた闘いを描く、と。この手の作品にありがちな設定ですけどね。
いや、好きなんですよ。こういう、スタイリッシュなクライム・ストーリーって。


とにかくやたらイージーに人が死んでいくのが印象的で、お色気はほとんどなし、「移民野郎!」みたいなセリフ(英語ではイミグレートなんとか、とか言ってました)がバンバン出てて、その、そもそもはイタリア移民たちだった、マフィアの中の世代間の衝突みたいのも、テーマの一つでした。
イタリア語を話せるか、とか、イタリア語のオペラ(アリア?)で泣けるか、とか。

ちょっと面白かったのが、麻薬取引でバンバン稼ぐショットに、ジェームス・ブラウンの「リビニン・アメリカ」(ロッキー4かなんかのテーマソングだったヤツです)が流れたところ。「これがアメリカで生きるということなんだよ」みたいなメッセージなんでしょうか。


多分、かなりのローバジェットで作られてて、まぁ、ロケなんかもワリとこじんまりとした所で行われている感じでしたが、そんなに貧乏臭くもなくって。
俳優さんたちがちゃんと雰囲気を出してるからなのかなぁ。

CSI(今はNYシリーズ)とかを観てても、いっつも感心しちゃうのは、モブ・シーンをちゃんと撮ってる、というところなんですよね。この作品もそうで、人(エキストラ)を投入しないといけないところはちゃんと使ってて。
あとは、ちゃんと雰囲気のある場所を選んで撮ってる、ということなのかも。
その辺は、いい仕事してるな、と。



映像は、最近の流行りに乗ってる感じで、とてもシャープ。陰影を付けて。
この、ボヤッとさせない、シャープな画っていうのも、重厚感みたいのを観る側に与える、みたいな効果があって、作品が貧乏臭くなってないことに貢献してるんでしょうね。



ま、そんな感じで。
携帯電話と、マフィアのファミリー内の抗争が共存している、という、まぁ、ちょっと新鮮な感触もあったりする、なかなかの佳作でした。



いやぁ、こういう作品が、日本にはないんですよねぇ。
俺が作れたらなぁ、なんて、ね。マジで。
ま、夢ですけど。





DMMでレンタルも出来ます。
>>>狼の街
>>>ギャングスター・ナンバー1

2008年3月26日水曜日

敏腕Pが恋愛を語る

新聞に、「女と男」というタイトルで、読者から応募された恋愛体験記を掲載しているコーナーがあったんですが、それの“エピローグ”ということで、フジテレビの栗原美和子さんのインタビューが載っていたので、ご紹介。

ドラマを作ると、「うそくさい」と言われることがよくあります。そのたびに、「そんなことはない。ドラマよりも、現実の方がよっぽどドラマチック。ドラマは決してうそくさくなくて、むしろおとなしいぐらい」と言っていた。「女と男」を読んで、本当にそうだなあと改めて認識しました。


読んで一番感じたのは男女が近づいているということ。女性が男性化し、男性が女性化している。
女性はすごく意思を持ち始め、結婚をバネにさらに仕事を頑張るといった選択肢が増えて、それを実行する人が増えています。一方の男性はむしろロマンチストになってきているというか、一生懸命に男女関係を美しいものにキープしようとしている。そういう話が多かったですね。
男女がすごく近寄ってきているのに、それでも絶対に異性を求めるわけですから、今後どういう男女の感情のもつれが生まれていくのか、興味深いですよね。


小説でも映画でも最近はお年をめされた方の恋愛がはやっています。(投稿の中で)双方の80代の親同伴でデートする61歳と58歳の男女の話がありました。ものすごく温かい映像になると思う。
人間、いくつになっても関係性は成長しない。親は親、子は子。でも唯一、恋愛は相手を変えて自由に組める。人間は成長しないからいくつになっても恋愛するのではない。他の関係性は成長しようがないなかで、何歳になっても成長したいから恋愛してるんじゃないかな。


頭の中にはいつも、ドラマでやりたいことが入っていますが、これまで、高齢者の恋愛というテーマは入ってませんでした。でも今回読んだ中で、高齢者の恋愛が特に面白かった。
自分がもう高齢者の話に興味があるんだということが認識できたので、思い切ってやってみたいと思います。


まぁ、男女論や恋愛論は、別に全面的に賛成するようなアレでもなかったりはするんですが、こういう思考からヒット作が生まれてくるんだなぁ、ということで。


2008年3月24日月曜日

「イーオン・フラックス」を観る

シャーリーズ・セロン主演のSFアクション、「イーオン・フラックス」を観る。

ウィキペディアによると、この作品は、もともとMTVの、10個のエピソードで出来た短編アニメ作品だったそうで、その作品内では「主人公イーオンは毎回ラストに死んでしまう」という設定だったんだそうです。
正直、この“設定”にぶっ飛んじゃったんですけどね。「毎回、ダウンロードすんのか?」と。
ま、エヴァの綾波レイと同じなんですけどね。


さて、“本編”の感想。
冒頭は、いきなりS・セロンの肢体を包むフェティッシュな衣装に目を奪われちゃって、まぁ、それはそれで嬉しいんですけど、なんつーか、“B級”感が、ね。漂っちゃうっつーか。
「お色気で推しちゃっていいですか?」みたいな製作側の空気を感じちゃったりして。


舞台設定は、未来の、ユートピア(≒ディストピア)内でしか人間は生活できない時代。で、テクノロジーを梃子に市民を独裁支配する“支配者一族”と、それに対抗する“抵抗組織”の戦いを描くんですが、まぁ、この手のSFではおなじみの構図ですな。

ちょっと面白いと思ったのは、支配者側が合議制という形をとってて、つまり、一応なんだけど、民主主義を採用しているのに反して、抵抗組織側は、権威主義的・独裁主義的に描かれているんです。
ま、これも最近の主流と言っちゃえば、そうなんだけど、支配者と抵抗者の対立構造の中に、組織対個人の対立構造を、アングルを90度変えて、交差させる状態で置く、と。

ストーリーが進むにつれて、支配者側でも内紛があって、お約束的に、“悪い王子様”によって、“良い王子様”が組織から追われるワケですね。で、同じように抵抗組織から追われた主人公と共闘する、という。
そういう構図は、ちゃんと描かれていました。



それから、もう一つ面白かったポイントは、“液体”に色々な機能を持たせている、ということ。組織からの極秘メッセージも、カプセルの中の液体が胃の中で消化され、それによって、脳内にバーチャル空間が立ち上がる、という段取りになってて。
生体コンピュータみたいなイメージだと思うんですけど。
これは面白かったですね。



個人的に凄いタイムリーだったのが、“記憶”についての解釈。
クローンが記憶を引き継いでいく、という。DNAに記憶が残っているのだ、と。
ちょうど、DNAがどうたらこうたらっていう本を読んだばっかりだったのと、別のもう一つのブログでも、似た内容のトピックを書いたばかりだったので。



ストーリーは最後に、人類は“滅び”を受け入れるべきだ、みたいなことをサラッと語ったりするんですが(あまり強調はされません。おそらく興行上の理由から)、その辺は実は、宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」(漫画版)の結末に良く似てるんですよねぇ。
クローンによって命を継いでいくことを拒否するのと、ナウシカでは、書き換えられた自分たちのDNAを“滅びの宿命”として受け入れろというのと、まぁ、同じだよなぁ、と。主人公が戦うヒロインだっていうのも一緒なので、余計に“似てる感”が強まったりして。

いや、パクリだっていうことではありませんよ。違うところは一杯ありますから。
似てるってだけです。


ま、そんなこんなで、色んな分析をしながら観ましょう、という作品ですかねぇ。
ストーリーの運びや、アクションや、そもそものCGとかは結構荒っぽかったりしますが、まぁ、S・セロンがマブいんで、それもまた良し、という感じっス。




DMMでレンタルも出来ます。>>>イーオン・フラックス

2008年3月22日土曜日

「おーっ」がいい

エプソンのカラリオのCMの、長澤まさみが出てるバージョンのがいいですねぇ。
>>>こちら



プリントされた写真がプリンタから出てくる瞬間の、長澤まさみのリアクション「おーっ」っていうのが。
とても自然というか。
彼女のキャラクターにとても合ってる気がするし、彼女も、“自分の感情”でちゃんと言えてる気がします。
“演技じゃない感じ”にちゃんとなってるもんなぁ。


ああいう、些細な瞬間のリアクションの言葉って、難しいんですよねぇ。人それぞれでほんとに違うし、ちょっとでも違うとウソ臭くなるし。

そういう意味では、この「おーっ」っていう言葉のチョイスは完全に正解だし、多分、何回もテイクを撮ってるなかでこのテイクを採用したもの正解になってるんだろうな、と。


うん。グッドでした。

2008年3月21日金曜日

「ウルトラ・ダラー」という本を読んだ

ちょっと前に結構話題になってた、「ウルトラ・ダラー」という本を読みました。
著者は、手嶋龍一という、いつも目が半分閉じてて眠そうなオッサン。


で、映画化とかされんのかなぁ、ということで、このブログに登場です。


なんていうか、この小説って、完成度が微妙なんですよねぇ。
作者の手嶋さんの、非常に特殊な立ち位置というか経歴というか、まぁ、本職が本職なだけに、そういう“スケール感”とか“リアリティ”とかはもの凄いんですが(だから、面白い)、例えば登場人物のディテールとかが、結構サブい。

出てくる女性が、みんな、才色兼備だったり、というか、人間離れしたスーパー・ウーマンばっかりなんですよ。
きっと、作者の妄想なんだと思います。オタクが“童顔で巨乳”を描くのと、そんなに変わんない、というか。
主人公も、人間味なんか全然感じないし“王子様”だしねぇ。



つまりどういうことかというと、物語にのりしろがある、ということなんですよね。
映画化された場合に、完成度が上がる可能性がある、と。より良くなる可能性、というか。

登場人物が多国籍なんですが、逆に、日本の資本・人材だけでやるんじゃなくって、まぁ、要するにハリウッドを一口噛ませるとか、そういう製作方法が試せるようなネタだとも思うし。

あと、この種のネタって、今の日本だと、ウケると思うんですよ。マジで。
みんな、こういうの、好きでしょ。間違いなく。



もう一つポイントとして、恐らく、そんなにお金をかけなくても良さそうな内容である、ということ。派手なアクション(ビルを爆破するとか、客船を沈めるとか、)が無いんですね。
まぁ、世界中あちこち行かないといけないんですが、工夫次第では、少ない予算で頑張れる内容じゃないか、と。CG/VFXとかも必要ないし。



まぁ、いざ映画化されて、劇場に観に行くかっていうと、それはまた別の話ですけどね。個人的には。
でも、まぁ、悪くないです。内容は。

2008年3月20日木曜日

これはいいですな

Right-On のCMがいいですね。岡田准一が出てるヤツ。
>>>こちら







桜の花びらだった、という。


こういう感覚で俺も映像を作りたいっス。

2008年3月18日火曜日

スタンド名:フロム・ダスク・ティル・ドーン

オタクたちの二次創作に倣って、勝手に「ジョジョの奇妙な冒険」のスピンアウト作品を作ってしまおう、という企画ですが。


敵キャラ、というか、まぁ、ボスキャラなんですが、それを“牧師さん”にしようっていうのは、前々から考えてたんですね。
第6部のプッチは“神父”ですから、まぁ、それにちなんで、という意味も込めて。

で、その敵キャラのスタンドをどうしようかなぁ、と、考えてたんですが、とりあえず「フロム・ダスク・ティル・ドーン」っていうのはどうかな、と。
ご存知、タランティーノとロバート・ロドリゲスのバカ映画のタイトルなんですけど。
で、スタンドの能力は、ずばり、「夜」。夜のスタンド。

最初は“空間”を描きたいなぁ、なんて思ってたんですが、スタンド名が気に入っちゃったんで、こちらで。
「夜」って、まぁ、色々あると思うんですよ。
“創世記”の第一日目で、「まず昼と夜を作った」みたいなのもありますしね。
あとは普通に、暗闇。あとは、その暗闇がもたらす、恐怖感とか、寂しさ・孤独感、みたいなのもアリですよねぇ。そういう、普段は隠れている負の感情に作用する力があるんじゃないか、と。「夜」のスタンドには。
それから、これもウィキペディアからの受け売りなんだけど、「光合成」が行われないんですね。夜には。光がありませんから。で、CO2値が上昇するんだそうです。
まぁ、そういう諸々を含めたスタンド能力、ということで。



というワケで、それに対抗する静・ジョースターのスタンド「デスティニーズ・チャイルド」をどうするか、考えなくてはなりません。
「夜」に対して、上手く“鍵と鍵穴”の関係になるような能力を。
一番イイのは、静の母親の能力(と、俺が勝手に決めた)「アクトン・ベイビー」と上手く組み合わさることで「夜」に克てる、というオチなんですが。



ま、まだまだまだまだまだ、先は長いなぁ、ということで。


2008年3月12日水曜日

そういえば・・・

そういえば、最近観る作品って、実話を基にしたっていうのが多いなぁ、と。
“Based on true story”ってヤツですな。


昨日の「アメリカン・ギャングスター」もそうだし、「ジェシー・ジェームズの暗殺」「グッドナイト&グッドラック」「ザ・ハリケーン」などなど。

まぁ、自分がそういう、いわゆるハードな物語が好きだから、ということなんでしょうけど。


で、ちょっと前の、馳星周さんが出てた新聞の記事を思い出しまして。


のほほんと生きている人たちの首根っこをつかまえて、これが現実だって突きつけてやるような小説を書いていきたい。


ある“覚悟”を吐露するという、なかなか印象的な言葉でした。


2008年3月11日火曜日

「アメリカン・ギャングスター」を観る

23:50に上映開始という、バルト9の超がつくレイトショーで、「アメリカン・ギャングスター」を観る。


傑作!

と、ズバリ、声を大にして言いたいです。
取りあえず、オープニングが超クール!
で、その後しばらくは、グラグラ揺れる画面になんか慣れなくって“ややツライ”んですが、その後は快調。
とにかくデンゼル・ワシントンが素晴らしいです。
それから、大量に投入されている脇役たちの存在感がいちいちグッド。みんな個性的だし、しっかり存在を主張してるし、ちゃんと描き分けられてるんだけど、出過ぎない、という。
ハーレムを、弟たちを引き連れて歩くシーンなんて、最高です。


で、D・ワシントンに対抗する刑事役がラッセル・クロウなんですが、こいつにはやや不満が。イモなんスよねぇ。ダサいんですよ。白いスニーカーにジーンズに柄のシャツで、なんか腹が出てて。髪型もダサいし。
でも、まぁ、それが狙いなんでしょうけどね。そういう、ベタな“普通の市民”みたいなことなんでしょう。
つーか、D・ワシントンがスタイリッシュ過ぎるっていうのもあるけど。そういう対比を描く、ということなんでしょうな。
あと、脇役ってことで、特捜部の一人を、RZAというラッパーが演じてるんですが、こいつが超ヤバい! どう見ても“かたぎ”じゃねぇよ、という存在感。主役の2人は当然クラシカルな演技をするワケですが、恐らく全然それとは違うアプローチで造られたキャラクターなワケです。きっと。最高でした。



で、この、両雄ぶつかり合う、みたいな構図っていうのは、例えば「ヒート」だったり、まぁ、定番の構図なんですが、この作品のミソは、“三つ巴”になってるところだと思うんです。警察組織同士の反目というのがあって、ラストも、これが肝になってるんで。
このアングルにしっかりフォーカスしたことが、シナリオとしては、もの凄く上手く作用してるんじゃないか、と。



D・ワシントンつながりで、例えば「ザ・ハリケーン」とも時代背景が近かったりすると思うんですが、こちらの作品は、とにかく金に糸目はつけない、みたいな感じで、とにかく豪華で派手。やたらカネ使ってますよ。マジで。さすがリドリー・スコット。


画もキレイで、個人的なポイントは、徹夜での追跡捜査中、夜明けの時間に、市街に戻ってくるシーン。あの、車のフロントガラス越しの風景は、素晴らしいです。あの構図は、いつか必ず、自分の作品で使います。
えぇ、パクりますよ。必ず。



それからもう一つ、音楽が素晴らしいです。まぁ、このポイントについては、また別のところで、詳しく。


と、そんな感じで、実はリドリー・スコットって、そんなに好きじゃなかったんですが、この作品に関しては、「まずは謝りたい」と。「お前スゲェな」と。
そんな、傑作でした。






DMMでレンタルも出来ます。
>>>ヒート
>>>ゴースト・ドッグ
>>>ユージュアル・サスペクツ

2008年3月7日金曜日

「ジェシー・ジェームズの暗殺」を観た

月曜日に、新宿武蔵野館のレイトショーで観た、「ジェシー・ジェームズの暗殺」の感想でっす。

なんていうか、不思議な感触の映画でしたねぇ。
もっとエンターテイメントしてるのかと思ってましたが、全然そうじゃなくって、暗い雰囲気の(実際、吹雪とか暗闇とか、そんなシチュエーションばっかり)、大人の為の作品、という感じ。ブラピが出てるクセに。


で、どうやら、この“ジェシー・ジェームス”というのは、アメリカ史上でワリと有名な人だったらしく、日本でいったら“清水の次郎長”とか、そんな感じの人だったみたい。

時代背景は、南北戦争の終わった後、ということで、120年くらい前ってことっスか?
いわゆる“西部劇”の時代なんだろうけど、まぁ、ストーリーは完全に“別モン”で。
そういえば、「ラストサムライ」と近い時代かもしれませんね。あれのトム・クルーズも確か、南北戦争の経験者じゃなかったでしたっけ。(違ったらゴメンなさい)

無理やり日本に当てはめて言っちゃうと、例えば忠臣蔵みたいな感じなのかもしれません。忠臣蔵っていうのは、物語の発端も、その後の展開も、盛り上がりも、結論も、全部知ってるワケです。まぁ、日本人なら。
で、そういう物語を、例えば映画にする場合は、別にストーリーの展開とかを観にくるワケじゃなくって、その物語をどう描くかを観に来るワケですね。お客さんは。
主役をだれが演じるか、どこを強調するか、どういう風に映すか、どこを省略するか、などなど。オチなんて皆知ってるワケで。


この「ジェシー・ジェームス」も、アメリカ人にとっては、そういう作品なのかなぁ、と。
作中で、こいつに殺されるんだっていうのは、みんな分かってて、「で、どうする?」みたいな観方をするんじゃないのかなぁ、と。


どうしてそう受け取ったかというと、この作品に、あんまりドラマチックなアレがないんですよ。もの凄い淡々と、主役やその周りの奴らの心理状況みたいのを追っていくんです。
そういう意味では、ブラピだけじゃなくって、群像劇みたいになってるんですが。
で、なんとなく最後に、メッセージみたいのが語られるんですが、まぁそれも、そんなに重要なアレではなくって。


うん。そういう作品でした。
じゃあつまらなかったかっつーと、別にそうでもない、と。だから“不思議な感触”。
淡々としていながら、引き付けられる力もある、と。それがブラピのパワーなのかもしれませんけど。



それから、映像的にちょっとヒネッたこともしてて、それは、画面の中央だけにピントを合わせて、わざと周辺部に焦点があって、みたいな画が出てくるんです。
まぁ、誰でも思いつくようなテクだとは思うんですが、実際に、映画館で観たのは初めて。効果は上手く出てるとは思いました。


と、こんな感じで。

2008年3月6日木曜日

「ガコーン!」のCM

資生堂のエリクシールのCMがいいですよねぇ。キョンキョンと瀬戸朝香と吹石一恵が出てるヤツ。

その瞬間の感情を、ボーリングのピンで表現する、という。
「ガコーン!」で、ストライクもあれば、ガーターもあるし、スプリットになる場合もある、という。
このアイデアって、マジでレベル高いと思います。

「奥さんキレイだなぁ」で「超嬉しい!」でストライク(スペアだけど)、と。

「微妙・・・」なら3ピンだけ残る、とか、「惜しいっ!」という場合には、最後のワンピンがグラグラ揺れて結局倒れない、とか。色々考えるだけでも楽しそうだし。



あと、普通に吹石一恵が好きだからっていうのあるけどね。
タイプなんスよ。
はい。

2008年3月5日水曜日

邦画がピンチなんだってさ

新聞に、07年の邦画を振り返ってという記事が載っていたので。

まずは、映画ジャーナリストという肩書きの斉藤守彦さんという方のコメント。

映画に知的好奇心を向けず、気持ちよさだけを求める。動物的な快感原則にもとづく観客の保守化は止まらない。

“動物的な快感原則”なんていう言葉は、東浩紀さんの「動物化するポストモダン」からの参照でしょうけど。まぁ、鋭い指摘ではあるんじゃないのかな、と。



で、話は、“ケータイ小説”の映画化として、そしてなにより、特大ヒット作として、注目された「恋空」について。記事では、まず、この原作のストーリー自体を「女子高生の妄想」と言い切っています。その上で・・・。

この女子高生の妄想を担う新垣結衣は、まるで空っぽな内実を、他者=彼氏だけでなく観客にも埋めてほしいと、うつろに演じたように見えた。
万一、「観客参加型」を狙ったとすれば、試みは新しい。

ちょっと補足すると、「主人公の、心の中の空洞(空っぽな内実)を満たすという、ある種の“干渉”を、作中の登場人物(彼氏)だけにでなく、物語を外側から観ている観客にも求めている、ように見える」と。(余計分かりづらくなってます?)
“干渉”とは、例えば、“愛の告白”とか“逃避行”だとか、そういう、「物語の要素」ですね。
で、仮にそれが意図的に行われているとするならば、これはポストモダン的なアレなんですが、それはそれで新しい映画の形、つまり、物語を語る新しい手法の一つではあるのだ、と。


もう一つ、ケータイ小説が映像化されたこの作品について、同じく映画ジャーナリストの大高宏雄さんという方は、「人生を全肯定する、リアルもバーチャルも超えた変な光景」としています。
で。

この、人生を全肯定する、リアルもバーチャルも超えた変な光景が映画として「成立」したことに、「今まで自分は何をやってきたのか。これから何をやっていいのか分からなくなった」というプロデューサーも。
映画人の自意識や物語の結構の崩壊。邦画の再立ち上げは容易でなさそうだ。

ということでした。


まぁ、現状認識はしておかなくては、ということです。
一番いけないのは、ただ無自覚に、ただ“作りたいから”という“動物的な欲求”だけで作ることでしょう。きっと。
なんつってね。生意気言ってスイマセン。


2008年3月4日火曜日

「インパルス」を観る

月曜映画で「インパルス」を観る。


いわゆる“深夜映画”の枠ではおなじみ、ちょっとお色気が入ったB級作品ですが、結構良かったです。
いかにも80年代という感じの、ゴージャスなヘアスタイルと薄い唇(口紅をもの凄く薄いシェイプで塗っているんです)が印象的なヒロインなんですが、いわゆる“働く女性”の苦悩も抱えつつ、オープニングはもの凄いセクシーショットだし、その後にはノワール感が漂うショットから爆破シーン。
ただ、その爆破シーンは、ストーリーとは全く関係ない、NYで、でした。意味分かんない。
全く必要性のないヌードシーンも、それはそれで良し、という感じ。メロドラマ・パートになった途端に、取ってつけたようにムード音楽っぽいラテンが流れて、やや安っぽかったですけどね。


その後は、犯罪組織のボスを挙げようとする検事と刑事たちを描いているんですが、その、捜査機関同士の対立や、捜査が旨く進まなかったり、ちょっとしたトリックがあったりと、なかなかしっかりしたシナリオ。良かったです。
特に、検事と刑事の関係がとても上手で、主人公も交えた三角関係になったりして、それが捜査に微妙に影響を与えちゃったりして。


演出や画で魅せる作品ではないんですが、そういう、ストーリーをドライブさせていく巧さ、というんでしょうかねぇ。結構勉強になる感じでした。


ラストも、ちょっとだけオシャレで、好感度アップ。


まぁ、もうちょっとメジャーなキャストでやれば、もっと評価された作品なんじゃないのか、と。
映画館で観たいとは思いませんが、一見の価値はある作品だな、というのが、俺の評価でっす。