2008年5月3日土曜日

「緑の光線」を観る

というワケで、エリック・ロメールの「緑の光線」を観る。


孤独で、自意識過剰で、観念的で、理屈っぽくって、マイナス思考で、なにもかもが満たされていないという肥大した自己認識を抱えてあちこち彷徨う、1人の女性の物語、という感じですかね。


ま、いかにもヌーヴェルヴァーグらしい、スノッビーで快楽主義的なキャラクターたちを、優しい眼差しとクールなタッチで描く、という感じで。


思うに、ヌーヴェルヴァーグの思想と手法と、まぁ、精神、ということなんですけど、そこにはホントに最大限のリスペクトを抱きつつ、しかし、もはや絶望のレベルが違うんだということですよね。
ゴダール原理主義者とか、いまだに結構居ますけど。


別に、それはそれでいいんですけど。



今さら言うことでも全然ないことなんだけど、とにかく、ヌーヴェルヴァーグは、もう新しくないワケですよ。

しかし、新しい“前衛”が、イマイチ、力を持って出現してないことも、現実としては確かにあったりして。

いや、前衛ってだけなら幾らでもあるんでしょうけど、ゴダールがそうだったように(危ういバランスではあるんでしょうけど)普遍性と前衛性とが並存しているような“イズム”が、ポスト・ヌーヴェルヴァーグ、ポスト・ニューシネマに、あるのかなぁ、と。
あるとしたら、それがタランティーノのアレじゃぁ、ちょっと困るし、みたいな。



いや、むしろ「無いこと」が、そうなのかもしれない・・・。
なんて、ポストモダンの袋小路でグルグル堂々巡りを始めてしまう前に、自分のシナリオを書きまーす。


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