2008年10月7日火曜日

「イントゥ・ザ・ワイルド」を観る

新宿のテアトル・タイムズスクウェアで、ショーン・ペンの監督作「イントゥ・ザ・ワイルド」を観る。


月曜の午前中の回だったんですが、お客さんは思ったりよりいましたねぇ。ちょっと不思議な感じもしましたけど、まぁ、悪いことではないっスね。


正直、これといった感想はなかったりして。
もちろん、とてもいい作品なんですけど。

この作品には原作があって、実際に、もう15年以上前になるんですけど、アラスカで若者の遺体が発見されて、その若者について取材して書かれたノンフィクションというのが書かれて、それをショーン・ペンが映画化した、と。
もちろんS・ペンのことですから、自分で製作も兼ねて(つまり、映画化権を買ったりとかも自分でやって)、自分の手で映像化して、と。


とにかく、この、実際にアラスカで死んだ(当時は)名も無い若者の存在が、まず或るワケで。
原作となったノンフィクションも、この作品も、やはり彼の存在(意思と行動、そして死)に対して受けた衝撃みたいなのが、そもそもの始まりなワケで。


欺瞞に満ちた両親の人生に対する疑問。それはつまり、自分のアイデンティティへの疑問になり、両親への憎しみや怒りや、まぁ、そういう諸々となる、と。
それが、アラスカ行への動機になるんですね。

で、その道中を丹念に追っていく、という造りになっているのが、この作品。
ってぐらいの感じなんですよねぇ。

旅の途中の出会いと別れを描いていく、と。


いや、ホントに素晴らしい作品だと思うんです。
映像美も素晴らしいし。(そういう意味では、あの映画館で観たのは、ホントに大正解かも)



ただ、これはホントに正直に吐露すると、自分とあまりにも重なってる部分があって、なんていうか、「痛い」気がしちゃって。
真っ直ぐ観れない。

もちろん、別に「ウチの両親」が、作品と同じような“欺瞞”を抱えていたワケでは、全然ないんですけど。
つまり、動機は全く違うんだけど、やっぱり似たようなアイデンティティ・クライシスを経験してしまっていたので。

結局、俺は“戻ってきた”ワケですが。



まぁ、でも、きっと、ショーン・ペンにも、そういう経験があったのでしょう。
監督に限らず、原作を書いたノンフィクション作家も、映画を評価したような人たちも、誰もがみんな、そういう経験や、願望や、まぁ、それに近いモノを持っていた、と。

そういうことですな。



うん。



そういう、俺にとっては、極めて個人的な部分に触れる(別に揺さぶるって程ではないにしろ)ような作品でした。




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