2008年10月31日金曜日

「ダークナイト」を観る

銀座シネパトスへ出かけていって、「ダークナイト」を観る。


いやぁ、傑作。まぁ、そういう風に言われてましたけどね。
その通り。素晴らしい作品でした。

実は、前作の「ビギンズ」を観てなくって、例えばバット・モービルが登場したときにはホントにびっくり。
超クール!
この“新型”の造形って、前作からなんですってね。

個人的に、東京・八王子出身なもんで、ちょうど中学時代、バットマンビルというのが出来て、そこに飾ってあったバット・モービルの実物大のレプリカを目にしていた人間としては、“新型”の登場には二重の驚きでした。
うん。そういう意味では、前作を観てなかったのが、かえってよかったのかも。驚きが大きい、という意味では。


で、もうひとつ正直に白状すると、「コイン≒トゥーフェイス」ということも忘れてたんですよ。
今回は、マジでストーリーにハマり過ぎて、途中までマジでジョーカーだけだと思ってました。えぇ。


で、その、トゥーフェイスも含めた、タイトル「ダークナイト」の言葉のダブルミーニングが素晴らしいですよね。


さて。ホントに圧倒されちゃって、色々ありすぎちゃって書けないぐらいの感じなんですが、ひとつづつ。
とりあえず、ストーリーのスピード感が凄いですね。
これは、受け手の側が持っている情報量の多さ(バットマンについて知らない人はいませんから)を最大限に利用したストーリーの作り方をしてる、というのが大きいんですね。
まぁ、俺みたいに、うっかりコイントスについての“裏”を知らないヤツもいたりするんですが。

例えば、バットマンというキャラクター自体を説明しないといけないとすると、表の顔はブルース・ウェインで、超カネ持ちで、両親が殺されて、とか、スーパーマンとは違って超能力は無い、とか、そういうことを描かないといけないんですが、今作では、そういうのは一切なし。(当然ですけど)

で、大事なのは、他の部分でも、そういう、いわゆるありふれたのギミックを徹底的に使うことで、「余計な説明」を省いてるんです。
“組織”という言葉、イタリアンマフィア、倉庫で行われているマフィアの会議、マフィアと同じテーブルに座っている黒人のギャング。チャイニーズマフィアと、その表の顔である中国系企業。
警察の腐敗、腐敗の告発、それによって受ける脅迫。
マネーロンダリングという言葉や、投資ファンドという言葉、などなど。
そういう細かい設定の背景を、いちいち説明する事はまったくしない。全て、自明のこととしていく、と。
なおかつ、その量がハンパないワケですね。

コミックという原作からの情報と、それ以外の部分の、いわゆる現実の世界からの情報と。
例えば、冒頭の銀行強盗で、あのマスクが映っただけで、観る側は「あ、ジョーカーだ」と分かるワケです。一発で。
バットマンがショットガンをぶっ放したら、それはニセモノだ、ということも分かるし。
中国人の企業家が出てくるのも、ごくごく自然に感じれるし、登場する弁護士が、その強欲さゆえにバットマンを窮地に追い込む、とか、そういうのも、現実社会の情報を受け手が既に持っていて、それを作り手側がコントロールしてるワケです。
イタリアンマフィアというのは、これはちょっとアレなんですけど、「他のファンタジー」からの流用なんですね。つまり、現実の世界の情報とはちょっと違う。だけど、それも使う、と。

まぁ、東浩紀の言い方を流用すれば、「データベース消費」という言葉になるんですが。
受け手が共通して持っているデータベースを“参照”しながら、物語を語る、という。



ということで、その情報量で、ストーリーをブーストさせる、と。
これは完全なカン違いだったんですが、個人的には、トゥーフェイスの誕生は次回作への布石なのか、とか思っちゃってて。それくらい、お腹いっぱいだった、と。
もちろん、そんなことはなかったんですけどね。

逆の言い方をすれば、同じ時間の中で、時間軸に沿ってストーリーを進ませるだけでなく、そのストーリーに付随する情報をパンパンに膨らませて、受け手に渡す、と。
受け手側は、ストーリーを追いながら、その裏側にあると認識することが出来る情報をも、同時に咀嚼してるワケです。


ストーリーの分量を増やそうと思ったら、必然的にテンポを上げなくてはいけなくって、つまり、受け手にしっかり説明する時間がなくなるワケです。
だけど、それを逆にしなければ、テンポはあがって、必然的に、内容的に沢山のことを語ることが出来る、と。
トゥーフェイス誕生までで、既に一本分の映画を観た、ぐらいの感じになってる、と。





で。
とにかく、シナリオが素晴らしいと思うんですよ。
ファンタジーとリアル、という2つのフェーズがある、と。で、まぁ、以前のバットマンシリーズ(ティム・バートンのとか、ですね)というのは、ファンタジーに振り切ってたワケです。
当然、コミックが原作ですし、舞台も架空の都市だし、別にリアルである必要は全然ないんで、別にそれでいいワケですけど。
スパイダーマンも、同じ。
で、例えばロード・オブ・ザ・リングでは、完全なファンタジーなんだけど、そこにいかにリアリズムを注入するか、ということで色んなことをしてるワケですね。CGやらなんやらで。スターウォーズも同じ。
そうすることで、ファンタジーが、ファンタジーとしてより強化されるワケです。リアリズムを注入することで。
ポイントは、ここで注入されるのが「リアリズム」である、ということですね。
猿の惑星しかり、ブレードランナーしかり。


この「ダークナイト」を傑作にしてるのは、ファンタジーに注入されているのが、正真正銘の「リアル」である、というトコにあるんじゃないか、と。
もちろん、バットマンというキャラクター自体に、最初からそういう要素が含まれていた、ということもあるし。
それから、最初に挙げた、情報量とも関係してて。つまり、コミックからの情報というファンタジーと、現実社会というリアルに由来する情報。その両方をこのボリュームで見せられると、受け手側は、もう大変ですよ。
没入です。作品に。


その、バットマンではなく、ジョーカーやトゥーフェイスに注目すると、彼らは、もうホントに完全な「リアルな世界」の住人である、という風に描かれているワケです。
レクター博士が空を飛ばないように、ジョーカーも空を飛べないし、ケヴィン・スペイシーのジョン・ドゥやカイザー・ソゼが空を飛ばないように、トゥーフェイスも空を飛べない、と。

彼らはみな、人間の、悪意や強欲や自己愛や恐怖、あるいは人間社会の腐敗や不信や絶望から産み出される存在なワケで。
その、“悪”の背景をどう描くか。
ファンタジーにリアリティを肉付けする、とか、リアルに物語(という名前の虚構)を構築する、とか、そういう方法論とはちょっと違って、既にあるファンタジーと、既にある(当然ですけど)リアルの、両方に立脚してしまう、という。
分かり難くなってますね。

当然、バットマンなんて、現実には絶対に存在し得ないキャラクターだし、世界なんだけど、リアルに、その、バットマンが生きているファンタジーを、引き寄せる、という感じ。



いや、作品の本質から、ズレてますね。



とりあえず、役者陣は素晴らしい。ヒース・レジャーはもちろん、ゴードン警部のゲイリー・オールドマンも、素晴らしいですね。もちろん、検事(そして、トゥーフェイス)役の熱演も。
あと、受刑者役の、あの人。

あの、フェリーの中のシーンはホントに最高だと思ってて、あの群像劇だけでも、どんだけカネかかってんだ、と。カネと、労力。
あのシークエンスを、あれだけ説得力のある演技と画で作る、という、製作陣のエネルギーを感じちゃいますよね。


“アリバイ”作りのためのバケーション、なんていうのも、エスプリ効かせてますって感じで、上手だし。
「香港」と「Phone call」のダシャレは、サブかったけど。


あと、建築現場を“ソナー”で透視するショットの、半透明みたいなCGは、カッコよかった。
あのシーンのスピード感っていうのは、半透明で見せるというのが、結構いい方向に影響してるんじゃないかな。

“エンロン”みたいな、盗聴システムの描写もクール。
あれはまぁ、CIAとかの、対テロ捜査で市民を盗聴していることの、ワリと直球なメタファーにもなってるんだけどね。


ブルースとアルフレッドしかでてこない、あの“ファクトリー”の造形もクールだったしねぇ。
そういう意味では、美術はホントに良かった。マシンの造形もそうだし、CGもそうだし、トゥーフェイスの顔面もそうだし。(ベッドのシーツに血が滴ってるのとか、ヤバイでしょ)


あと、音楽が良かった。かなりシンプルな、というか、古典的な使い方だったと思うんだけど、それがすごい効果的で。
音楽については、DVDでもう一度観るとかした時に、ちゃんとチェックしたいですね。
勉強になるハズ。
あ、あと、クラブのシーンで、かかってるのが変なトランスとかハウスじゃない、というトコも好印象です。



う~ん。
自分で書いてるクセに収拾つかなくなってますね。


この辺でやめておきます。

何言ってるか分かんなくなってますけど、まぁ、いいです。
とにかく、素晴らしい作品だった、と。そういうことですな。


「ダークナイト」傑作です。



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