2008年12月5日金曜日

小津さんについて。「自然主義でなく・・・」

新聞に、ドナルド・リチーさんという人のインタビューが載ってまして。


リチーさん(リッチーさん?)という方は、有名な方らしいんですが、俺は知りませんでした。
もっとも、顔と名前を知らないだけで、この人の文章にどこかで触れたことはあったのかもしれませんが。
ま、それはさておき。


友人の川喜多かしこさんに誘われたのは60年のことでした。松竹の大船撮影所で小津安二郎監督の「秋日和」の撮影を見学できるというのです。最も敬愛する監督だったから、喜び勇んで出かけました。


原節子の母と司葉子の娘が、伊香保温泉の旅館で会話する場面の撮影でした。全部で7分ほどの場面のために立派なセットが組まれていた。やっぱり小津組は別格なんだと感じました。
ところが、どうも様子が変なのです。2人の会話なら、ふつうは片方の位置から相手の芝居をまとめて撮り、次は反対側から同様に撮って、編集で一つにつなぐもの。でも、小津組の撮り方はまったく違いました。
役者がひと続きのセリフを言うごとに、「カット」と小津さんが声をかける。しかも撮影の厚田雄春さんにカメラの位置を変えるよう指示するのです。「もう1センチ、いやもう2センチ上かな」。
非効率きわまりない。うまくシーンがつながるのか心配になりました。
女優はその間じっと待っています。これから感情が高まる場面なのに、これで芝居ができるのか。案の定、司さんは泣く場面で涙を流せませんでした。戸惑う彼女に、小津さんは言いました。「涙はいいから。こうやって顔を覆ってごらん」
完成した映画を見て驚きました。バラバラに見えたカットが、独特のリズムをもって息づいている。微妙な構図の変化が情感を際立たせている。スーラが無数の点で絵を描いたのと同じことを小津さんはしていたのです。
自然主義ではなく、技巧を尽くして真実に迫る――日本映画の美学について大きな教えをうけた体験でした。

にゃるほどねぇ。


前に、是枝監督の講義を受けたときに、悲しく見える演技が出来ないなら、そう見えるように撮ればいい、と是枝さんが言い放っていたのを、結構強烈に覚えていて。
多分、同じことっスね。


「自然主義ではなく、技巧を尽くして真実に迫る」。
けっこうスゲェ言葉。心に刻みます。

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