2009年1月10日土曜日

「シャイン・ア・ライト」を観る

新宿武蔵野館で、マーティン・スコセッシ監督、ローリング・ストーンズ“主演”の「シャイン・ア・ライト」を観る。


いやー、凄かった。
正直、一曲目が終わった時に、拍手しそうになりましたから。あやうく。
手を叩きかけてました。完全に。
いやぁ、凄かったっス。

ストーンズとスコセッシ。


冒頭、イントロダクションとして、リハーサルとかのショットが流れるんですが、ステージのリハの最初に、チャーリー・ワッツがドラムを叩き始めたら、その音に合わせてロン・ウッドが踊り始めたりして。
ストーンズのリズムっていうのはキースが担ってる、みたいに言われることもあるんだけど、なんだかんだで、チャーリーのドラムなんだな、と。ストーンズの音をドライヴさせているのは。

チャーリーのリズムと、キースのブルーズ。R&B。
そこにミックのボーカルが乗る、と。


別の言い方をすると、1人のジャズ・ドラマーと、1人のブルースマン(ギターと、ボーカルもね)。それに、2人のロッカー(ギタリストとボーカリスト)。それがストーンズ。
なんつって。


前半なんかは、ソウル系のショウに近いよな、みたいな。スタジアム級のステージに、コーラスやらホーン隊がズラッと並んでるのを見てもそういう風に思わなかったんだけどね。
同じ編成なんだけど。
なんか、改めて。そう感じましたね。BPM的にも。
コーラスも男女の2人とも黒人で、しかも舞台となったニューヨークのブルックリンとブロンクスの出身で。その2人もいい味だしてて、良かったです。いいバイプレイヤーってことですね。スコセッシのカメラと編集が、ちゃんとそこのトコを浮かび上がらせている、ということですけど。(対照的に、ホーン隊は殆どフィーチャーされてませんでした)
その、コーラスの黒人女性が、なんか妙に“いいオンナ”で、キースもミックも、なんか妙に彼女に近寄っていってるな、みたいな。3曲目の「She Was Hot」で。
「“She”ってことで?」と。

で、ハードな縦ノリを愉しむだけじゃなくって、やっぱりグルーヴを感じる音楽なんだな、と。
まぁ、あれだけのステージを見せられると、そんな感想が浮かんできますよね、やっぱり。

もちろん、後半はバリバリのロッキンな感じで。ま、ヒット曲がこれだけあると、盛り上がりますよ。当然。
そこは、なんせストーンズだし。



順番にいくとですね・・・。
イントロダクションで、リハ風景と、スコセッシが「ミックがセットリスト(曲順)を教えてくれねー」とか延々ぼやくシークエンスが流れるんですね。
これは、スコセッシが、ライブの演奏が始まる瞬間の爆発力を高める為に、自ら“人身御供”になってる、と見ました。

例えば、よくあるライブのドキュメンタリーの常套手段というか、定石としてある手法っていうのは、ミュージシャンたちの緊張した表情とかピリピリした雰囲気とか、あとは客入れ前のガランとした観客席とか。
そういうカットを使って、緊張感を”チャージ”するんですね。
ライブが始まる瞬間に、ポイントを合わせて。
「静寂」とか「緊張感」とか、そういう印象を映像を観ている側に与えておいて、あるポイントで、“解放”じゃないんだけど、テンションを一気に上げる、と。

で、この作品では、別にストーンズは、緊張してないし、みたいな。
完全にリラックスしまくってるワケです。
意図的に、彼らの“緊張感”を映してないのか、それとも緊張なんてさっぱりしてないのか。多分後者だと思うんですけど、ホントは分かりません。
ただ、スコセッシの“演出”としては、そこの“緊張感”の演出に、自分のブツブツぼやいてる姿を使っている、と。
これって、結構ポイントだと思うんですよ。
観る側の感情の流れをちゃんと導いていこうという意図がそこにあるワケですからね。

照明のライトが強すぎるから、ミックに当てすぎるな、みたいな話もあって。(ちなみに、これは作品の題名に掛けたジョークにもなってる、ということだと思います)


で。ライブが始まる、と。

オープニングは、ギターが曲を弾き始めてて、フロントマン(ボーカル)が、最後にステージに駆け込んできてマイクを持って、歌い始める、という。
これぞロックンロール・マナー、というヤツですよね。基本中の基本。
この辺も、ソウルの匂いを感じます。


あとはまぁ、“主演”のストーンズですよ。
イントロダクションの感じから、スコセッシがちょいちょい出てくんのかな、とも思ってたんですけど、まったくなし。
その、スコセッシの潔さも、ポイント高いですね。“分かってる”気がします。「俺がカッコつける映画じゃねーんだ」というトコで。


で、ストーンズのメンバーは、まぁカッチョいいっスよ。
キースの、ピックを投げる間、とか。
「その間か」って感じ。ロニーの周りをグルグル回ってたりしてるしね。
あと、途中でカントリーのカバー曲を歌う、という時に、コーラスで間違えてたらしく(曲のあとに、ミックに「間違えやがって」とか言われてる)、その、演奏中に明らかにミックの顔が強張ってるんですよ。
こっちとしては、「ん? どうした?」みたいな。
そういうトコも、ちゃんと映して、使ってるんですね。
間違って怒られちゃって、舌出して苦笑いのキース。
いい顔!


対して、ミックは、観客を前にして、まさに「君臨」してますよね。ミックは、観客を完全にコントロール下に置こうとする。そうやって、観客の興奮を呼び起こす、という。観客と自分たちの一体感をキープしつつ、興奮を喚起させる。
音楽のライブを表現するのに、「君臨しつつ奉仕する」という好きな言葉があるんですけど、ミックは「君臨」って感じ。
キースが、ギターを弾きながら、客に向かって跪く姿すら見せるのとは対照的なアレで。
シャーマニズムとしてのロックンロール、儀式としてのライブ、シャーマンとしてのミュージシャン。


とか言いつつ、途中で伝説のブルーズマンのバディ・ガイが登場すると、ちょっと雰囲気が変わって。
(もともとストーンズは、アメリカの黒人ミュージシャンが演奏するブルーズという音楽に憧れて、そのカバーバンドとして結成されていますから)
なんちゅーか、フロントの3人が3人とも、みんなバディ・ガイの近くに寄ってくるんですよ。
「ねぇねぇ、俺のギター聴いてくれよ」
「俺のギター、スゲェだろ。こんなに弾けるんだぜ」
「俺のギターも聴いてくれよ!」
「俺のハーモニカだって!」
みたいな。
スターに群がってサインをねだるガキ、みたいな感じ。3人とも。

別の曲の時にクリスティーナ・アギレラも出てくるんですけど、キースなんかアギレラに超冷たい。素っ気ない感じで。
ミックはまぁ、孫みたいな歳のアギレラと一緒に腰振ってますけどね。



いやいや。
音楽のことばっかり書いてますね。



さてさて。
この作品が内包しているストーリーについても、考えないといけません。

映画と音楽っていうのは、「時間芸術」という点で、共通項を持ってるワケです。
この2つの表現の領域では、表現者は常に、「時間」と自分の表現を“同期”(シンクロ)させてないといけないからです。
例えば文学は、受け手(読み手)の「時間」(スピード、要する時間、連続するか否か)をコントロールすることは出来ません。写真や絵画といった平面芸術もそうだし、もちろん彫刻やファッションや建築なんかも、同じで。
特に立体表現では、逆に時間を超越していく、みたいなトコが美点とされていたりもするしね。


で、「映画」(映像)においては、「時間」は常に「ストーリー」とイコールなワケです。
例え、道を人が歩いていく一分間だけの映像でも、人はそこにストーリーを受け取ってしまう、という。
受け取る、というか、投影というか、投下というか。
音楽の場合、この時間の等式は、必ずしも成立しないんだけど、ストーンズのこのライブというのは、なにしろ「映画」なんですよ。
ここでいきなり結論を書いてしまうと、“映画”監督のスコセッシは、この作品において、ストーンズというアイコンが“過去”に紡いできた(つまり、バンド史という意味の)ヒストリーの、1/3ぐらいのストーリーを語ることに成功してるんです。

ライブ映像の途中に、過去のインタビュー映像がピックアップされて挿入されてるんですけど、それは、実はスコセッシがインタビューしたものですらないんですね。
つまり、それはある意味で、受け手に既に「共有」されているモノ、というか。
新しくスコセッシが引き出した、あるいは創り出した言葉じゃないワケです。

しかし、その、古いニュース・フィルムの中で語る彼らと、今の、ステージ上の姿。
この2つが受け手の中で繋がることによって(モンタージュ?)、そこに、ストーンズというバンドを生きてきた彼らの歴史を、つまりある種のストーリーをそこに存在させてしまう、という。

もちろん、ブライアン・ジョーンズという“陰影”は出てこないし(なんせ「Shine A Light」だし)、これも常套句である、彼らのプライベートというトピックも、殆ど出てこない。キースとミックの衝突、みたいのも、あんまり語られないし。
だけど、現在の彼らが内包しているストーリーの、三分の一でも語れれば、もう十分なボリュームがあるしね。マジで。
この作品においては、これでいいんでしょう。

というワケで、キースとロニーがお互いに語るシークエンスが、最高にクールです。
ロニー「(ギターは)俺の方が上手い」
キース「分かってるのは、2人が揃うと最強だってことだ」
みたいな。

“転がる石”のように、演奏し続けることが、何よりも彼らの「伝説」なんだ、と。
その、彼らが“彼ら”である、つまりバンドとしてやり続けている、というトコ。
そこが、例えばポール・マッカートニーや、デヴィッド・ボウイやThe WHO なんかとは違う、彼らならではのストーリーなワケですな。うん。
そういうことでいいでしょうか?



というワケで、とにかく傑作。
ぜひぜひ、映画館の大スクリーンと大音量で観て下さい。
マジで。

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