2009年2月27日金曜日

「記憶の棘」を観る

午後のロードショーで、二コール・キッドマン主演の「記憶の棘」を観る。

今週の午後のロードショーは、N・キッドマン特集でした。
で、この作品。ちなみに原題は「Birth」。邦題の方が詩的でいい気がします。


10年前に突然死んでしまった恋人の“生まれ変わり”と自称する10歳の少年が目の前に現れ、結婚を控えたN・キッドマンがかつての愛の“記憶”に揺れ動く、と。

いい作品でした。

低予算な感じも好感。
基本的には室内劇で、舞台はニューヨークってことになってて、セントラル・パークとかが出てくるんですが、まぁそのくらいで、だいたいアパートメント(超高級の、です)の部屋とか、あとは1階のエントランスとか、そういうシチュエーションが多用されていて。
キューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」方式ですね。


で。
いきなり冒頭、モノクロかというぐらいのトーンの画で、グッと引きつけますよね。画の力で。
死んでしまうことになる男が、シルエットだけで登場して。とりあえず、冬の、積雪で真っ白なこのシーンのインパクトは、かなり大きいな、と。

あとは、カットの繋ぎの間。ぶつ切りみたいな感じで、妙なタイミングでつながれているんです。これが、なんか妙な感覚をずっと感じさせてて。
あとは、N・キッドマンの家族とその家の、やたら無機質な感じ。特に、そのアパートメントの、門衛がいるエントランスのショットは、印象的でした。

いろんな想像をこっちがしちゃうんですよねぇ。余計な想像を。
また、余計な想像が出来る時間的な間が多くて。
そういうのが、全部ミスリードとして生きてくる、という。
やっぱり、“生まれ変わり”というテーマだけに、ミステリアスな雰囲気が醸し出されると、そっちが気になってしょうがない、みたいなのもあるし。
だいたい、N・キッドマンの、非人間的な美しさ、というのも、ね。よく合ってますよ。


で。
実は、という部分が、個人的にはかなり好きです。イントロダクションの次のシークエンス、婚約披露パーティーでの、“奥さん”の挙動不審ぶりが、伏線として明かされて。
「あー、そうだったのか」と。
これ、よくよく考えると、そんなにたいした造りじゃないんだけどねぇ。伏線としては。そんなに凝ったアレじゃない。
だけど、俺は引っかかっちゃいましたよ。
ショートカットのN・キッドマンに見惚れちゃってただけ、というのもありますけど。(それはしょうがないっス。だって、美しすぎますから)


このストーリーはねぇ。
いいですよ。ホントに。


“裏切り”、ということですよね。
愛を裏切っていた過去。その過去を暴いて突きつけてやろうと思ってきたものの、怖くなって隠してしまう。
そして、少年が、「ボクは生まれ変わりだ」と言って現れる。
少年の、ある意味無邪気な現実逃避願望、というだけじゃない説得力が、この子役の存在感にはあって。

というより、演出サイドが、そういう風に撮ってる、ということかな。なんか物憂げな、悲しそうな表情を、冷たい、大理石に囲まれたエントランスという空間に置く、と。

そして、その少年の愛も“裏切り”であって。

それから、これは凄いと思ったんだけど、N・キッドマンがその後に、婚約者の仕事場に現れて、会議室でその男に告げる言葉。

なんだかんだで、すべて虚像なんだ、みたいな。
この痛烈すぎるメッセージ(と、俺は受け取りましたが)は、あまりに冷たすぎる。このニヒリズム。
いやぁ、と。



それから、この作品の、黒味を強調した画のトーンは、何度も書いてますけど、大好きです。
もう一つ、音が、なかなか個性的でした。ノイズみたいな効果音みたいな、そういう変な音が、心象音みたいな使われ方をしていて。それはちょっと参考になったかな。自分でやれるかどうかは、また別のハードルがあるんでしょうけど。



というワケで、なかなかの良作でした。
ショートカットのニコール・キッドマン、素晴らしいです。


2009年2月20日金曜日

「エリン・ブロコビッチ」を観る

スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ主演の「エリン・ブロコビッチ」を観る。

まぁ、傑作なワケですけど、ソダーバーグ作品というよりは、完全にジュリアのための作品ですよね。
主演女優賞も総なめにしてるワケで。

ただ、大事なポイントは、マネーメイク・スターを使って“社会派”という作品を撮る、というトコですね。
同時期の「トラフィック」もそうですが。(「トラフィック」と比べると、この作品はかなりの低予算で作られているんですが、そこもポイント)

スターはただ1人、J・ロバーツのみ、と。
まぁ、言うまでもないことでもありますが。


で。
隠されたテーマとして「“女性”という性」がありますね。
赤毛の女性弁護士とやり合うシークエンスが象徴的なんですけど。

「子宮がん」や「乳がん」という言葉や、両親に寄り添っている闘病中の若い女の子を見るエリンの視線、だったり。
女性性を“封印”して、スーツを纏って戦う、ということでなく、まるでビッチみたいな格好をしたまま、そのメンタリティのまま、ガンガンいく、と。
同じ境遇の、ブルーカラーですらない“彼女たち”のために。

そう。大事なポイントは、ホワイトカラー対ブルーカラーという構図でなく、アッパークラス対底辺にいる女性たち、という構図なところ。
男顔負けに腕力でぶしていく、という運びにはならないワケですね。女性らしい「共感力」や、「女性としての魅力」を武器にしていく、という。
まぁ、だからこそJ・ロバーツなんですけどね。


とにかく、この主人公対他の女性たちとの対立構造は面白くって、デブの事務員を徹底的にこき下ろしたり、赤毛の女性弁護士に下ネタを言い放ったり、企業側の弁護士に「子宮の値段よ!」とタンカを切ったり。

この、企業側の弁護士とのシークエンスは凄くて、「あの井戸から汲んできた水よ」と。そして、そのグラスの水を飲めない弁護士たち。
このカタルシス!


それから、正義=カネ、という部分ですね。「カネじゃないんだ」みたいなジメジメした感じにならない。
賠償金(和解金)を手にする1番の近道である方法を、結局選ぶ。その為に、足を使って同意書のサインをもらっていく。
この辺の、キャラクターたちの現実主義と、映画としてリアリズムが重なっている部分が、説得力を生んで、作品を傑作に押し上げているんじゃないのかなぁ、と。
もちろん、それをJ・ロバーツが演じている、というのが前提ですけどね。


ベビーシッター化している自分に嫌気がさしてしまった男に対して、「初めて自分がみんななから認められている」という、この「承認」の物語。
ソダーバーグがこういうことを語らせるなんて、ちょっと意外だったりするんですけどね。
だけどまぁ、とても大事なセリフですよね。

社会の、一番底の部分、地べたを這いつくばりながら、そこから変えていく。そこから正義を立ち上げる。

つまり、10年近く経ったあとに撮る「チェ・ゲバラ2部作」と、かなり直接的に結びついている。

サンダンスが産んだ、ある種のカルト色をまとっていた若い天才が、20世紀最大のカリスマの姿を表現するようになる、その過程上にある作品なのだ、と。
ま、回りくどい言い回しをしてるだけですけど。


うん。「フェミニズム映画」としても素晴らしい、そしてジュリア・ロバーツ作品としても完璧な、そしてスティーヴン・ソダーバーグ作品としても見ごたえのある、そしてなにより、(恐らく)かなりの低予算で作られているという点にも注目しないといけない、傑作でした。

2009年2月18日水曜日

「ベスト・フレンズ・ウェディング」を観る

ジュリア・ロバーツ特集の午後のロードショーで、キャメロン・ディアスが共演している「ベスト・フレンズ・ウェディング」を観る。

ま、ロマンティック・コメディの良作の一つと言っていいと思うんですよね。
J・ロバーツの魅力全開、という感じで。

とりあえず、冒頭の、ベッドルームで携帯電話(弁当箱みたいにデカい!)で“親友”の結婚を聞かされるシーンの、あの、ベッドじゃなくってベッドサイドの床にドカって倒れるシーンは、映画史に残る名シーンだと思ってるので。

そして「取り戻す」と気合全開で燃え上がってシカゴに向かって疾走するシークエンス。そしてその直後に、キャメロン・ディアスのキュートなキャラクターに気後れしちゃう、という流れ。
いいですよねぇ。

この作品は、まぁロマンチック・コメディーの常套なんですけど、周囲の配役がいい、と。キャメロン・ディアスがいなければこの作品は多分ここまで輝きを持たなかっただろうし、あと、もう1人の“親友”の、ゲイの男。

特にラストの、このゲイ野郎の煌きは凄まじい。テーブルで、左手をもぞもぞさせながら携帯で話すJ・ロバーツの、仕草と表情と、まぁ他の全部の可愛さも含めて、その一連のシークエンスは、かなり良いです。
映画館で観てたら、映画館を出ながら「あぁ、いい笑顔だったなぁ」と。そういう風に思わせてくれたんじゃないんでしょうか。


C・ディアスは、ホントにハマり役ですね。可愛くって超セレブなんだけど凄い健気で一生懸命の、ムカツクんだけど憎めない、という難しい役を、すげーちゃんと表現してて。
彼女のキャラクターがちゃんと立ってないと、J・ロバーツの半狂乱の暴走が成立しませんからね。


ディテールでは、シカゴの運河を行く遊覧船のシーンがあるんですね。(ちなみに、俺はこの遊覧船は乗ったことがあります)
で、運河を進んでいくんで、橋の下をくぐるんですが、それを利用して、遊覧船のデッキで主人公と相手役が話してるシーンで、昼間の明るい光⇒橋の下の影の中⇒昼間の明るい光、という風にワンカットの中で動いていくんです。
これが、いい。
橋の影の中に入ると、一気に暗くなって、真っ昼間の屋外でのシーンが、一瞬で「暗い密室の中」みたいになるんです。というより、そこでだけ「2人の距離が縮まる」という演出になってて。
観てて、やっぱりそこでフッと気持ちが入っちゃう、というか。
遊覧船の、ゆっくりとしたスピードも、また効果的だと思うんですけど。いい感じのスピードで。
その、すぐにまた日なたに出ちゃって、「あ、錯覚なんだな」みたいな。



この作品のテーマは「プライド」と「自分に正直になる」なんですね。
ずっと、プライドが邪魔をして、本当のことが打ち明けられない。ずっとゲイの男には「正直に打ち明けろ」と言われ続けて、ずっと言えないワケです。
そして最後に、ちゃんと打ち明けて、キャメロン・ディアスにも“敗北”を認め、そして2人を祝福する、と。
そもそも、キャメロン・ディアスのキャラクターに対抗心剥き出しになって暴走し始めるのも、プライドが動機だったりするので。「私のモノだったのに」という。「出会ったばかりの小娘に獲られてたまるか!」と。

こういうストーリーは、女性を中心に、かなり需要が強いんじゃないかなぁ、と。

ま、「草食系男子」なんて言葉が流行ってるしね。最近は。



まぁしかし、ジュリア・ロバーツはねぇ。
素敵ですよ。ホントに。


いい作品でした。

2009年2月17日火曜日

「ペリカン文書」を観る

午後のロードショーで、「ペリカン文書」を観る。

今週はジュリア・ロバーツ特集ってことで、J・ロバーツとデンゼル・ワシントンの「ペリカン文書」を。
原作はジョン・グリシャム。


まー、今さら感想も特にない、という感じですけど、普通に好きな作品なんで。
主演の2人とも、好きだしね。


この作品みたいに、「パワーエリート予備軍」みたいな若い主人公が、社会を牛耳っている組織と対立して、そこで、知性と行動力を武器に(つまり、暴力で、じゃなく)組織と戦う、というのは、アメリカ映画のひとつの典型だったりするワケで。

つまり、主人公の正義感と、「社会を支配している悪の論理」の対立があって、主人公は、その「社会を支配している組織」の一員になっていくハズだったのが、どこかで“正義”に目覚めて、悪を暴いたり告発したり、あるいは単純に、組織から潰されそうになって、そこから逃げつつ、反撃を喰らわせる、という。
ポイントは、大抵の場合、主人公が「パワーエリート」である、というトコですよね。
将来を約束されているけど、という設定。


実はあんまり、日本にはそういうのって、ないですよね。
組織対個人、というストーリーを描くときには、元不良のサラリーマン、とか、うだつの上がらない中年サラリーマン、とか、そういうのが、似たようなポジションにあるのかなぁ。
ま、あんまりその辺はあんまり詳しくないんで、分かりませんけど。


あと、ジュリア・ロバートは、カワイイよねぇ。
ちょっとガニマタで歩いたりしてるけどね。

デンゼル・ワシントンも、押し出しの強いエネルギッシュなジャーナリスト役で、こちらもハマリ役。いいです。


うん。
そんな感じで。


2009年2月15日日曜日

「鉄コン筋クリート」を観る

ミッドナイト・アートシアターで、松本大洋原作、マイケル・アリアス監督の「鉄コン筋クリート」を観る。

ま、長瀬君主演の「ヘブンズ・ドア」の“煽り”で、ということみたいですね。
ちなみに、ジャニーズつながりで言うと、この作品では二宮君が主演の声をつとめています。お相手は、蒼井優。
二宮君はそのまま二宮君なんですが(一応二役なんですが、全然そうなってなくって、基本的にはずっとそのまま)、対する蒼井優は、かなり変化球で熱演、ハマってます。
もちろん、どちらも上手だなぁ、と。


で。
作品の感想ですが、とりあえずひと言で言ってしまうと、“ハードボイルド”なんだなぁ、ということ。
その感じが、すげぇ良かったです。

“書き割”感剥き出しの画も、すぐ入っていけたし。
というか、めちゃめちゃいいでしょ、あの街の感じは。かなり振り切ってて、その感じがいいと思いました。それは、もちろん監督の演出の意図なんでしょうが、多分、スタジオ4℃の、制作チームとしてのポテンシャルもかなり寄与してるんじゃないのかな、なんて。

ただ、記憶頼りになっちゃってちょっとあやふやなんですが、スタジオ4℃が制作した短編のオムニバスが、かなり“キツい”感じになってたなーと考えると、これは、監督とスタッフがかなり上手く噛み合った作品なんじゃないのかなぁ、と。
上手ですもんね。


ただ、ちょっとだけ引っかかったのが、“カメラワーク”というか、アクションシーンで、キャラクターのアクションに、フレームの動きがちょっとだけ先行しちゃってるな、と。

格闘技用語で言うと、「テレフォン」(by グラップラー刃牙)。

ストーリー上の問題じゃなくって、カットの中の、凄い短い時間の中のアレで。
今からこっちに動きますよ、みたいなのが、感覚的に、観る側に“予告”されちゃってる。
ま、それでもいいっちゃいいんですけどね。

実写なら気にならない、という程度のアレかもしれないし、たまたまこれを観てる時だけきになっちゃただけかもしれないし。
多分に、俺も感覚的なアレなんで、はっきりしたことは言えないアレなんですけど。

ただまぁ、気になった、という程度のことです。


で、なんせ“ハードボイルド”ですから、殆ど女性のキャラクターは登場しません。蒼井優が出演してる、というのが頭にあるので、あんまりそういう風に思わながちですが、そうなんですよ。
とても男臭い、そしてその“救い”の無さも含めて、一級品のハードボイルドだな、と。

もちろん、主人公2人は、一応ハッピーエンドを迎えている、という描写がされてるんですけどね。

あ、あと、ラストのオルター・エゴとの絡みは、ちょっと長いかなー。
ああいうのは、この作品を“ハードボイルド”として捉えると、ちょっといただけませんね。

まぁ、いいんですけど。



うん。
そんな感じっスかね。
ヤクザの“若頭”(違うか?)と舎弟のシークエンスなんて、悲しいよね・・・。
切ない、ホントに。
世話になった兄貴分を、自分のシノギとして(家族に手を出すと脅されながらも)殺して、しかもその“殺し”を、兄貴が分かってて。「先に逝くぜ」と。
このセリフは、舎弟にも向けられてるんだよなぁ、と。
そして舎弟も、自分の女と“海辺”に逃げようとする寸前に殺されちゃう、という。

これを、あんなタッチの画で見せられたら、これはたまんないでしょ。
切ないっス。


そのあたりのサブプロットをちゃんと描いたってことでは、いい監督だなぁ、と。
あ、あと、音のセンスがいいな、と。音楽もいいし、抜き差しというか、間も上手だし。


というワケで、いい作品でした。

2009年2月8日日曜日

「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」を観る

ミッドナイト・アートシアターで、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(なげータイトル)を観る。

長瀬君主演の「ヘブンズ・ドア」が、この作品のリメイクってことで、ということみたいっスね。
ま、リメイク版はさておき。


若くして余命を宣告された2人の若者が、2人で「海を観に行く」と。そういうお話。
ドイツで作られた映画なんですが。


まー、その、どこの国にも“アメリカかぶれ”みたいなのはいるもんで。
こういう作品を作りたくなる人って、どこの国にもいるんだな、と。

キーワードーは「天国では、誰もが海の話をする」という“小噺”ですね。こういう挿話を使ってストーリーをドライヴさせていく、というスタイルは、なんていうか、ちょっとバタ臭い感じがして、個人的には好きです。


あと、シナリオとしては、オランダの娼館に“戻ってくる”トコ。あの構成は、良かったし、好きです。
それから、薬局に強盗に入るシークエンス。歩道でぶっ倒れちゃって、薬瓶の中身が無くなっちゃってて、という。


それからなにより、画の雰囲気が、ストーリーにマッチしてて、良かったですね。好きな色味なので。荒くて、黒が強調されてて。


それから、ラストの海が「冬の日本海かよ?」というぐらい荒れてて、それも意外で面白かった。
てっきり、静かな海で、夕陽が沈んで、みたいな画を想像してたので。
あのラストショットは、あれはあれで、いいと思います。



あとはなんだろうねー。
「海が観たい」か・・・。
こちとら、島国ニッポンで生まれ育ってますからねぇ。海を観るのに国境を超えないといけない、みたいなのは、全然共感できないですよね。
もちろん、だからといって、作品の良さが伝わらない、ということでもないんですけど。
なんだろ。
日本で言ったら「富士山を観たい」とか、そんなニュアンスでしょうかね。
長瀬君の「ヘブンズ・ドア」ではどうなってるのか、ちょっとだけ興味があります。まさか、海のままだったりして。


ま、面白いシナリオと、キレイな画でした、と。そういう作品でした。

2009年2月6日金曜日

「13デイズ」を観る

午後のロードショーで、ケビン・コスナーが再び“JFK伝説”に挑んだ「13デイズ」を観る。


うん。面白かったです。
最初は、なんかキャストが迫力不足? とか、イマイチだなー、なんて思ってたんですが、段々引き込まれていっちゃいました。
ま、「キューバ危機」という、事件そのものが凄いスリリングでドラマチックだから、当たり前っちゃ当たり前なんですけど。

最初、「事件は現場で~」の逆で、ひたすら会議室の中(ホワイトハウスの)で話が進んでいくのかな、とか思っちゃって、それならサブいぞって思ってたんですけどね。
ちゃんと、「沈黙の艦隊」チックなシークエンスもありで。

ま、低予算作品なんだろうけど、ちゃんとやるべきことはやってます。
ちなみに、ウィキペディアの当該項目の記述によると、国防総省は製作サイドの協力して欲しいという申し入れに対して「自分たちの描写が好戦的過ぎる」みたいな理由で、断ったらしい。
納得、という感じ。
軍人たちは、ずっと“好戦的”で、JFKとはずっと対立構造にあります。

JFKをかなり神格化してる感じがしちゃって、そこら辺が、最初にイマイチって感じた理由だと思うんですね。いま思うと。
公明正大で清廉潔白で、軍部の圧力に抗しながら、みたいなトコが、最初はあまり説得力がない。

だけど、なんか段々風格が出てくるんですねぇ。そう感じてくる。
不思議なんですけど。演出の力なのかは、ちょっと分かりませんけど。



上手だと思ったのが、アングルというか、画面の構図、みたいなの。会議室の中の人間関係だったり、JFKと弟のロバート、主人公(ケビン・コスナー)の3人だったり、さらに主人公が部屋の外に出されて、とか。
その辺は、ホントに巧い。
会議室の人がバッと居る中で、ちゃんとJFKや重要人物を浮き上がらせるように配置してあったり、とか。

あとは、JFKと弟と主人公の関係性かな。
弟は司法長官という役職に就いてるんだけど、そうじゃなく、完全に“弟”として、腹心としてそこに居る、と。閣僚という立場を完全に越えている。この描写が、すげー上手い。
それから、2人の“兄貴分”としている、主人公。スマートな兄弟に対して、結構ブルタイプで、なんていうか、汚れ役、というか。インテリなんだけど押しも強い。
こういう役柄は、実はハマり役なんですね。

で、3人は、アイルランド系(カトリックで)という出自で結ばれてて。
最後の口笛の演出も、あれは多分、アイリッシュのおまじないみたいなモンなんだと思うんですね。日本でいえば「えんがちょ」とか「夜に爪を切るな」とか、多分そんな感じで。

それを、超緊張してガチガチになってるソ連の(多分)政治局員の前で、信頼している友のために、「俺はここにいてお前を支えてるんだぞ」と。
その前の「妻子を託すなら、君だ」みたいなセリフも、超クール。

その辺のディテールは、フィクションとして作られてるんでしょうけど。
ちゃんとそこがクライマックスになってて。いいと思いました。


で、マクナマラたちが「次は中東と東南アジアだな」とか。これは、後にベトナムで失敗する彼らを示している、と。
ホットラインを開設する、とか、ね。その辺の描写も心憎い感じで。

ラストの、ホワイトハウスの壁に3人の影が写るショットも、オシャレですよねぇ。
影だと、実在だった人間ですから、俳優の顔じゃなくって、受け手それぞれが記憶している“顔”を思い出すことが出来る、と。
うん。

あ、それから、「タバコを吸う」のが、“好戦的”というか、そういう属性のメタファーになってるのかな、みたいなショットもありました。ちょっとはっきりとは分かりませんけど。
一応、追記として。


ま、戴けるポイントとしては、ラストの影でしょうね。



というワケで、何気にケビン・コスナーを見直した作品でもあったりして。

2009年2月3日火曜日

「アフロサムライ」を観る

アメコミのような雰囲気なんだけど実は日本製(GONZOという会社の製作)な、「アフロサムライ」を観る。


最近ずっと、アニメづいてますけど。
ガンダムのDVDも観たし。



ま、だからって特にないんですけどね。




さて。
この「アフロサムライ」は、音楽がなんと、RZA。
クール!


ただ、ワリと映像に寄り添う、という感じでした。RZA節はそんなに、だったかな。良かったけど。

でも、日本にもDev Largeとか、最近ならI-DeAとか。

個人的には、INO hidefumiさん。

個性的な音を作る人はいっぱいいるんですけどね。もったいないな、なんて。





さて(二回目)。
結構面白かったのが、「一番」と「二番」という設定。
最初は、この2つしか出てこないのが「クール!」とか思っちゃいまして。(実は、あとから6番とか7番とかが出てくる)

で。
・「一番」には「二番」しか挑戦できない。
・「二番」には誰でも挑戦できる。
という設定があるんです。これって結構面白いな、と。

数字の並びという、すげーシンプルなアレなんだけど。
古くは仮面ライダーの一号と二号、とか
「クレイモア」という、“ナンバー”が延々ストーリーに絡んでくるようなコミックもあるし。

単純に、スポーツの世界の背番号とかも、そうだしね。

使いようによっては、ということですな。




ちなみに、数字とはちょっと離れますが、「ダウンタウンのごっつえぇ感じ」の、ゴレンジャイのコントというのは、ネタ会議かなんかで、「赤玉と白玉があって、ひとつずつ玉が出てくる。どんな順番だと笑えるか」みたいな会話がでて、そっから生まれたらしいです。

ま、それはさておき。




とかいいつつ、感想もこのくらいだな・・・。

すげー好きな作品ですが、普遍性は全然ないんだろうな、と。
そういう作品でした。


以上でーす。

2009年2月1日日曜日

「バンテージ・ポイント」を観る

「バンテージ・ポイント」を観る。

大統領の狙撃事件を、異なった立場にいる登場人物たちそれぞれのポジションごとの視点で描いていく、という手法で語られてる作品です。

こういうのって、結構「24」とかの影響なのかなぁ、なんて。

で、前半はその、“異なったアングル”で(全部で6パターンぐらい)描かれて、後半はワリと普通な感じ。普通のアクション映画ですね。
結末も、なんだか超普通な、ショボい所に落ち着いちゃう感じだし。そういう意味では、結構尻すぼみかも。
まぁそれは、大統領暗殺テロという、もの凄い大きな話から、ミニマムな人間関係というストーリーを抽出する、という作り手側の狙いでもあるんでしょうけど。
でも、俺としては、ちょっと違和感があります。


前半はホントに面白いんですけどね。
でも、シガニー・ウィーバーのポジションとか、使い捨てだもんねぇ。あれ。
せっかく、クルーの中にテロリストが居るんだから、誘拐した大統領の姿を世界に中継する、とか、そんなアイデアがあってもいいと思うし。

あ、あと、テロリストたちの行動の描写は、上手でした。彼らの緻密なプランと、その、何度も繰り返されるなかでそのプランと行動が明らかにされていく、というところ。
前半は、いまいちスピード感がなくって、構成上それはしょうがないっちゃしょうがないんだけど、後半の、テロリストたちの行動を描写していく時は、それはあって。

だから、なんつーか、普通のアクション映画なんですね。
で、それだけじゃ、ということで、ちょっと時間軸を分解してる、みたいな。


「黒い鶴瓶」こと、名優フォレスト・ウィテカーも出てます。今作では、ちょっとクサいけどね。わざとらしい。独り言とか。


う~ん。そんな感じかなー。
大統領の暗殺かー。
ま、ブッシュ時代の空気感が、当然作品にも反映されてるって感じはしますね。オバマになって、“暗殺”という言葉に対するニュアンスはだいぶ変わってるワケで、今後はその辺が反映された作品が作られたりするんでしょうか。


という感じっス。別に悪い作品ではないと思うんだけど・・・。