2009年6月17日水曜日

「ママの遺したラヴソング」を観る

「バリ・シネ」で、スカーレット・ヨハンソンとジョン・トラボルタが主演の、「ママの遺したラヴソング」を観る。


書き忘れてた感想です。


実は、観ててあんまり面白い作品じゃなかったんですよね。
個人的には、すげー嫌いなタイプの作品。

だけど、ラス前の「実は、2人は~」というのが判明してからの、2人の会話のシーンがすげー良くって、「あ、いいかも」という感じで。


彼女は、母親の存在やその愛を知らずに育って、まぁ、それで“不良”になっちゃった、という役を演じてるんですね。18歳とか、そういう年齢の役。まだ高校生で。

で、ラス前の2人の会話で、彼女はその欠落感を埋めることになるんですが、その会話の感じが、すげー良かった、と。
“幼い頃の記憶”とか、そういうキーワードで。

「母親に愛されていた自分」の記憶、というのを、自分で色々作ってた(想像していた)、という。
そういう“寂しさ”を分かってくれ、と。
だけど、その“捏造した記憶#”も、まるっきり虚構でもなくって、初めてのクラスメートとのデートでライブハウスに行ったときに、チラッと、似たような記憶が浮かび上がってきたりして。


この、「アイデンティティー」は記憶によって構築されているのだ、というのは、実は個人的に、結構気に入ってる題材でもあって(逆に、よく使われる題材でもあるんですけどね)。

で、ま、18歳の女の子が発する言葉としては、かなりのリアリティーがある、というか、彼女なりの必死に叫びなんだろうな、という、説得力を感じたワケです。

あのセリフは、なかなか書けません。



それから、もう一つ気になったのは、河の堤防を使ったショットですね。
この作品の舞台は、多分、カトリーナで沈没しちゃったのと同じ地帯なんです。
そういう背景がこっちにあるので、その、堤防の近くに住むホワイト・トラッシュたち、というのには、結構リアリティーを感じたんですけど、それはさておき。

堤防の手前の風景を撮る時に、堤防越しに、河を進む船の煙突が見えてたりするんですね。
これは結構面白くって。
土手の上を歩くショットもあるんですけど、そのショットでは、河の対岸に、大きな工場とかが映ってるんですね。
で、土手を、降りてくると、そういうのが見えなくなる。
見えなくなって、そこには、酔っ払いたちが車座になって歌を歌ったりしている場所(キャンピングカーのトレーラーみたいなの)があって。
そこが「掃き溜め」である、ということが、まぁ、意図的ではないのかもしれないんですけど、なにげに描かれてたりして。

河を進む船がある、というのは、「そこには働いている人がいる」という表現としてもあり得るワケですよね。
それを、昼間から飲んだくれている人たちとを、同時に描写する、みたいな。

ま、そんな意図はなかったかもしれませんけどね。



あ、それから、この作品でも、トラボルタは踊ってます。
ただし、その後に、かなりキツいシーンがあって、そこでもセリフは、切れ味があって良かった。


そう考えると、セリフの良さを味わう作品なのかもしれませんね。

作品自体は、すげー低予算なんですけど、でも、セリフには、そんなこと関係ないですからね。



というワケで、そういう作品でした、と。


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