2009年8月5日水曜日

小津さん

最近、とんと作品を観てなくって、このブログも更新が滞ってます。


が。
決して映画のことを考えていないのではありません。

一応、作品を書いてまして、その間は自分の作品に集中しよう、と。
しかし!
その筆がさっぱり進まない、という、もう最悪の悪循環で、ただただ時間を浪費してしまう日々でして・・・。
まぁ、自己嫌悪というヤツですな。


つらいっス。



で。
土曜日の新聞に、小津さんの「東京物語」について、ロケ地(尾道)を訪ねる、みたいな記事が掲載されてまして。

その記事の中に、「小津日記」からの引用という形で、脚本の執筆風景がホンのちょっとだけ紹介されてまして。

たまには更新しないとなぁ、なんて、柄にもなく気にしてたのもあり、せっかくなんで、この“ホンのちょっとだけ”の部分のご紹介でお茶を濁そうかな、と。


「小津日記」53年2月4日に、共同脚本執筆者野田高梧と雑談のうちに「東京物語のあらましのストウリー出来る」とある。「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するかを描いてみた」と後に言う筋立ては出来たが、場面を造形していくのはこれからのことだ。
小津と野田が脚本執筆用定宿の神奈川県茅ヶ崎市は茅ヶ崎館に入ったのが2月14日、脱稿5月28日。「百三日間 酒一升瓶四十三本 食ってねつ のんでねつ ながめせしまに 金雀枝の花のさかり過ぎにけり」
酒を酌み交わしながら何だかんだとと話を練り上げていくのが野田と小津の方法である。恒星が成って原稿用紙に書き始めたのは4月8日。
その日、助監督塚本芳夫が白血病で入院、10日にあえなくなった。39歳。

この後、記事は「東京物語」には弟子筋であった助監督への追悼が込められているのだ、と続いていくんですが、そこは割愛させていただいて・・・。


「103日間、酒は一升瓶が43本。喰っちゃ寝て、飲んで寝て、眺めているうちに金雀枝(えにしだ)の花も盛りが過ぎてしまった」と。


飲み過ぎです。



「雑談から、酒を酌み交わしながら、何だかんだと会話をしながら、話を練り上げていく」と。


共同脚本システムっていったら、黒澤明監督が真っ先に語られたりしますが、小津さんは小津さんなりに、何か方法論があったんでしょうか。
2人で、どういう形で書いていったのか。
延々話しているだけでは、シナリオは完成しないワケで、どこかでシナリオの形、つまり“セリフとト書き”に落とし込んでいかないといけないワケですから。

機会があったら、調べたりしてみたいです。

野田高梧さんか。



ま、作品書き上げてからだな・・・。



苦しいよ~。

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