2009年10月21日水曜日

「コンフェッション」を観た

というワケで、今日は今週の映画天国で観た「コンフェッション」の感想です。
ジョージ・クルーニーの監督デビュー作、ということで。


“コンフェッション”って、「告白」って意味らしいですね。知らなかった…。
題名の通り、主人公の男が自分の人生を「告白」していく、というストーリー。


で、告白されるストーリーが一筋縄でいかない(ま、だからこそ映画になるんだけど)、ということで、なんだかよく分からないまま話がどんどん進んでいく感じになってます。

個人的には特に前半の、なんだか“軽薄なコメディタッチのなんか”みたいな雰囲気が全然ダメで、惹き込まれるようになったのはホントに中盤以降ですね。

主人公が、自分の内面の“精神的な均衡”と保つために暗殺(つまり、合法的な殺人)を自ら欲するようになる、というあたりから。

その辺で、前半の、軽薄な、どこか浮ついたタッチで人生を描写する、という部分の意図が分かった、というか。
つまり、主人公の感覚がそうだった、ということですね。
自分が生きる人生や生活に「現実感」が欠如していた、という、そういう人物描写のための手段だった、と。
書割りのように表現される部分も、主人公の自己認識では、なにかの舞台の上で「自分という役柄」を演じさせられているだけ、みたいな感覚だった、と。

ここで、腑に落ちる、というか、しっくりきた、という感じで。


で、主人公がテレビ業界で成功するにつれて、その“浮ついた感”“非現実感”は、そのままテレビ業界における生活、という部分に、つまり主人公にとっては「日常という現実」にトレースされてきてしまう。
そして“現実化してしまった非現実感”に、耐えられない。

そこで、精神的なバランスを取るために、まごうことなき現実である“殺人”という現場に自ら赴く。


面白いのは、“殺人”の現場においても、“殺人者”という“自ら生み出したキャラクター”をまとう、という形で振る舞うんですね。主人公は。
帽子をハスに被り、黒いコートを着て、ミステリアスな女を抱く。

まるでひとつの“ゲーム”であるかのように、つまりそこでも“非現実感”に包まれている。


で。
ある局面で、東側に捕らえられるという体験をし、そこでの諸々を経て、“現実”に引き戻される。
というより、初めて現実に直面する、というか。


ドリュー・バリモア演じる彼女との結婚も避けてきた主人公が(それは、はっきりとは語られないんだけど、主人公の現実逃避のひとつだという描写でしょう)、ついに自分の命の危機を感じるに至って、自分がその時にいる“現実”を知る、と。


その後の、精神的に破綻しかけた主人公が、裸でテレビの前に立っている、という姿で描写されるんですが、これは多分、そこでは主人公は“裸の自分”というのを把握しているのだ、ということだと思うんですね。

今まで身にまとっていた“衣”をすべて脱ぎ捨てて、という。スパイでもなく、テレビ局のやり手プロデューサーでもなく、裸の自分。


ここで、最近の潮流としては「裸の自分なんていうのも虚像なんだ」というトコに落とし込んだりするワケですが、この作品では、そこまでは行きません。(というのが俺の解釈)


最後のヤマとして、裏切り者とのサスペンスタッチの対決を描いて、なんつーか、多分これが“落とし前”ということだと思うんだけど、最後は老人となった主人公の言葉で〆る、と。


ま、話の流れを追ってしまうと、こんな感じ。


ディテールとしては、ソダーバーグの「トラフィック」スタイルで、シークエンスごとに色のタッチを変えて、ということをしてますね。
過去のマンハッタンのテレビ局では光を飛ばしてパステルな感じ、中南米(多分メキシコだと思うんだけど)での初めての暗殺のシークエンスでは光量を多くしたザラザラしたタッチ、東ベルリンや東欧での暗殺のシークエンスでは黒味を強調したサスペンスタッチ、という感じで。LAでのテレビ局での生活、ニューヨークでの安ホテルでの隠匿生活、など、場面ごとに、ワリとあからさまにそういうことをやってる。
ま、個人的にはそういうのは凄い好きなんですけど(自分でもこういうのはやってみたい)、こういうのを安易って言う人もいるかもしれませんね。
いいと思うんですけどね。映画表現のひとつの進化だと思うんで。



あ、それから、なんつーか、ハリウッドにおける“派閥”じゃないけど、そういうのが垣間見えるのもこの作品のアレかも。
ジョージ・クルーニー一派、というか。
ソダーバーグとコーエン兄弟の作品には、G・クルーニーを初めとした、ワリと決まったメンツが出てますよね。
ブラピもそうだし、ジュリア・ロバーツもそうだし。
ちなみに、先週の「バーバー」の主演のビリー・ボブ・ソーントンは、アンジェリーナ・ジョリーの元旦那ですけど、もちろんA・ジョリーの今の旦那はブラピだからね。


あと、やっぱりジョージ・クルーニ―のこの後、ですかね。
この後に「シリアナ」という大作の製作・主演や「グッドナイト&グッドラック」の製作・監督・主演という見事な仕事をして、その後は「フィクサー」をソダーバーグと一緒に製作して。

ちなみに、これは知らなかったんですが、「ジャケット」という作品の製作もしてるんですね。この「ジャケット」という作品は、結構面白かった。



というワケで。
なんつーか、観る人を選ぶ作品ではありますよね。
普通に観たら、それこそ単なる“告白”で終わっちゃう、というか、「こういう人が居ました」で終わっちゃう作品だと思うんで。「CIAって凄いな」とか。

まぁ、そういう作品だって言えばその通りなんですが、もうちょっと深みや奥行きもありますよ、と。

そんな感じでした。



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