2009年11月4日水曜日

「闇の子供たち」を観る

阪本順冶監督の超問題作、「闇の子供たち」を観る。


いや~。どこから書いていいのやら…。


まず…。

ストーリーの構造としては、幾つかのプロットがあって、それがなんとなく絡み合いながら話しが進んでいく、という形。

ストーリーの大部分はタイで進むんですが、途中舞台が日本に移ってくるシークエンスもあって。
面白いのは、画のパワーが、日本の、日本人の役者陣の演技に頼れる所ではちょっと落ちる、というところ。
タイ人の子供を撮っているカットなんかは、構図もキレキレで、どれも気迫が伝わってくるカットなんですけど。
やっぱりそれは、セリフの巧さとか演技の巧さに寄りかかれないから「画」で勝負するしかない、という演出上のアレなんだろうな、と。


佐藤浩市の出てくるカットも、長回しでワンカットで撮ったりしてるんですが、いまいちピンとこなかったりして。「ここは別に普通に撮っても良かったんでわ?」みたいな。

まぁ、名優ぞろいだとは思うんです。
だけど、例えば「こと」を終えたあとにずっと唾を吐き出すショットとか、マジでやばい。
そこにはセリフもなくって、演出も「唾を吐き出してて」ってぐらいだと思うんです。そういうショットが生み出す破壊力。
基本的に、そういう「画の力」によって支えられている作品だと言い切ってもいいんじゃないなぁ、と。
ゴミ収集車に運ばれている黒いビニール袋を映したショットとか、マジで危険ですよ。ほんとに。
「グエッ…、この中にいるってことかよ…」っていうショットですから。
冒頭、国境の街で、子供たちの腕を大人たちがずっと掴んでるんですね。手を繋いでるんじゃなくって、逃げないように腕を掴まえている。
そういう、ひとつひとつのカットの意味が重すぎます。ホントに。
一生懸命作り笑いを作ろうとして、でも痛くて(肉体的にも、精神的にも)涙が出てくるんだけど、でも必死に口角をあげて作り笑いをしようとする男の子。

その「作り笑い」は、実は結構キーになってて、「裏切り者」も登場する最初のショットで「裏切り」が暗示されちゃっている、という。
そんなんありかよ、と。


タイトルの「闇の子供たち」ですけど、これって、「闇の中に隠された子供」とか「闇の中にいる子供」「闇の中に放り込まれた子供」という意味じゃなく、なんつーか、「闇」が生んだ子供たち、という意味だよね。
子供っていうのは必ず「親」がいるワケだけど、「親」、つまり「人間」が「闇」なんだ、と。
「人間」というより、「大人の世界」が「闇」なんだ、と。
大きな大木(ガジュマルの樹?)や、ラストの川の中で戯れる子供の姿、というのは、「自然に抱かれている」という状態、つまり、「大人たち」の手の届かないところ、「大人たち」に汚される、犯される前の状態、ということですね。「無垢な」とか「自然な」とか、そんな意味。


ラストまで、ずっと、江口洋介や同僚たちの「職業意識」が動機の梃子になっている、というトコにひっかかりを感じてたんですね。
それって、なんつーか、自分たちが生きる日本の社会との「地続き」感が薄まってないか、という気がしてたんで。
そうじゃなくって、「ひとりの人間としての良心」を動機にした方がいいんじゃないか、とか、“大手マスコミ”が“正義”を代弁するっていう形はちょっと現代性がないかな、とか。
それは監督の意図する所じゃないんじゃないのかなぁ、とか。
その「個人的な正義感」を司るために置かれているはずの宮崎あおいの役は、いわゆる、結構曖昧な「人間的な感性」というか、「自分の善なる部分が反応している不快感」みたいなのに立脚しているんですけど、なんつーか、彼女はずっと「未熟で~」という描かれ方、つまりややネガティヴな描かれ方をしていて。
いかにもなタイプキャストでステレオタイプなキャラクターだし。
そこには感情移入をさせない、ということを敢えてしている。

それは、同じく「自分探し」的なプロットを付加されている妻夫木聡が演じるキャラクターもそうなんですけど。
そこもずっと引っかかってたんです。人間が作った「暗闇」を描くのに、なんで「自分探し」のプロットに引きずられないといけないんだ、と。



が、最後の最後、ズバっと、ね。
やられましたよね。

シリアルキラーの記事の中に映る自分の顔。
「つまり同類なんだ」というメタファー。
この、後味が「苦い」方向に振り切るカタルシス。思わず「グエッ!」って声が漏れそうな結末。
こんなんアリか、と。



例えばさ。
これがキリスト教の文化圏なんかで作られてたら、終話の前に「懺悔」して終わる、とか、そういうストーリーの運びになったりしたと思うんです。
悔い改めて、神に赦しを乞い、赦され、一生をかけてその罪を償う、とか、そういう結末になったと思うんです。
しかーし!

主人公が自分の内面に抱えていた、なおかつ、本人はそのことを完全に自覚していた、という“闇”。
「ここは天国だから」というセリフの意味が、エンドロールの間にガツンときちゃう、という、この不快感!

「七つの大罪」がテーマだった「セブン」よりもエグい終わり方ですから!
グエッ!


う~ん。

感想を書きながら暗鬱な気持ちになってきました。
実は、この作品と一緒に借りてきたのが、なんと「チェンジリング」。
併せて観ちゃいけない作品でした。


結論としては、阪本監督の傑作、だと思います。
気迫と凄み。


グエェ…



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