2010年2月18日木曜日

時間軸がまっすぐなストーリーを・・・

今日もやたら寒く、まぁ、その寒い中、バイトを終えてトボトボ歩いて帰ってきながら、「時間軸が真っ直ぐなストーリーを書いてみたいなぁ」なんて。


いま書いてるシナリオ(コンクールに応募するための作品)が、過去の記憶とか、そういうのが絡んでくる話なんですが、ふと、「なんかそういうのばっかだな」と。
自分の作品って。

その、時間の流れを自由に操れる、というのは、映画の持つ特性の一つではあるんですが、どうも、そんなような作品ばっかり書いてるな、と。

個人的に、「ER」というドラマが凄い好きなんですが、あの作品は、回想シーンというのが殆どないんですね。
別に「ER」に限った話じゃないとは思いますが。
時間軸が一直線で、戻ったり繰り返したり、というのは、あんまりない。
で、登場人物がたくさんいる群像劇なワケですが、それぞれのキャラクターの、それぞれの時間の流れが全部ズラッと並んでる、と。そういう造り。

そういう、“群像劇”自体が好き、というのもあるんですが、「そうか」と。
「ER」って、そういう構造の作品だったんだなぁ、と。


自分でも、そういうアイデアを練ってみようじゃないか、と。



おおぜいの登場人物が、おのおのそれぞれの時間を生きる、というのを描きながら、それぞれのストーリーの“抽象的な共通点”が、作品自体の時間軸の中にぼんやり浮かび上がってくる、という感じ。

「ラブ・アクチュアリー」なんかは、その“抽象的な共通点”が、「愛」ということで、まぁ、分かり易いっちゃ分かり易い作品でしたが、あんな感じ。
「ショート・カット」では、無常観というか、ニヒリズムというか、シニカルな人生観、という感じで。
「スモーク」では、なんつーか、「人と人とが繋がりあうことの温かみ」とか、「それは煙のように儚いものなんだ」とか、そんな結末。

宅間孝行さんと東京セレソンDXの「魁!セレソンDX」は、ぜんぜん関係なさそうに見えた三つのストーリーが実は1人の男の人生を描いたものだった、という構造でした。



う~ん、と。


歩きながら考えついたのが、「愛の不条理性」というヤツ。


もったいぶった言葉遣いですが、要するに「一方通行な愛情」というヤツですね。


失恋する若い男(まぁ、女でもいいんだけど)、死別の時を迎えてしまう老夫婦。
あとは、親に虐待されてる子供、とか。自分の子どもを愛することが出来ない親と、そんな親を苦しみながらも想い続ける子ども。
アイドルに恋焦がれるオタクと、そのアイドルのスキャンダル、とか。


いや、違うかなぁ~。
これじゃ、単なる“逆張り”ですかねぇ?




で。
「ER」なら“病院”という、群像劇の登場人物を繋ぐ“装置”があったワケですが・・・。




ある日ある時の、交差点、というのはどうでしょう。


ある日ある時、偶然同じ交差点に立つ人たちの、その後。
横断歩道の前で信号を待ってる人。車に乗ってる人。バイクに乗ってる人。自転車。左折、右折。ただ通りがかった人。
車でも、仕事の車。プライベートな車。帰宅中。出社中。通学中。などなど。



という感じのことを考えながら、トボトボ歩いて帰ってきたのでした。


ちなみに、今日の東京は、雪です。
寒いよ~。

2010年2月5日金曜日

崔洋一監督のインタビュー

前回のエントリーともちょっと関係がありますが、新聞に、崔洋一監督のインタビューが掲載されてまして。
「月はどっちに出ている」を撮る前のエピソードを、サラッとですが、語っていたので。


(角川春樹事務所で)4本撮った後、パタッと仕事がなくなった。娯楽映画の中で異端のような方向性を持ち始めていたので、必然だと思いました。CMの依頼もあり、3年ほど映画づくりから離れていた。広告会社のプロデューサーは「もう飽きた。CMがうまくなった崔洋一を求めていない」と。武骨だったころの僕を褒めてくれました。
(それで)自分の企画でやってみようと、梁石日さんの自伝的小説「タクシー狂躁曲」を原作にした映画が浮上してきたのです。いろんな人間に声をかけては断られ、を繰り返し、脚本家の鄭義信さんや映画プロデューサーの李鳳宇さんと出会った。始まりは個人の意思なんで、マーケティングがはじき出すわけはないのです。




ちなみに、崔監督は、ご自分ではシナリオは書かない、という人なんですよねぇ。
ちょっと意外。



ちなみに、鄭さんは当時めちゃめちゃダメ出しされたらしいっス。