邦題よりも“断然”原題「Two-Lane,Blacktop」の方がクールな、「断絶」を観る。
まぁ、ニューシネマ期の名作、ということでいいんですかね。
改めて、ということなんですが、作品については特に改めて感想っつーのもないかなー。
どうなんでしょうか。
もちろん、個人的には凄い好きな作品で、要するに、この「ぼんやりとした絶望」をぼんやりと描く、と。
個人的にも、こういう作品を自分で作る、ということに凄い憧れるワケですが、同時に、「この手の作風に憧れることの罠」みたいなのも、この時代に生きている限り、もうイヤというほど知ってるワケですね。
逆に、だからこそ憧れるワケですけどね。
う~ん。
こういう作品を観ると、“展開”とか“構造”とか、あるいは“テーマ”とか、そういうのに囚われているんだよなぁ、ということを感じるワケですよねぇ。
受け手も作り手も。
なんていうか、「作品を作る」という行為が何を拠り所にして進んでいくか、という問題だと思うワケです。
「映画を製作する」というプロジェクト自体が、どこを目標に進んでいくか。その目標というのは、作品に“根拠”を持たせることで獲得するワケです。
五里霧中の中を、スタッフ・キャスト(と、日々費やされる予算)と一緒に進んでいく、ということは、これはとても困難なワケですよね。
その、プロジェクト全体の設計図となるのが、シナリオなワケですが、プロジェクトを強化するためには、脚本を明確にしていくことが必要なワケです。
一概に「売るため」じゃないんですね。「わかりやすい脚本」というのは。
「明確な脚本」に因ってプロジェクトを進んでいくのと、もう一つある方法論は、監督が無理やり周囲を納得させながら作っていく、ということですね。
アート系作品は、だいたい、この方法論。(監督じゃなくて、プロデューサーとか、主演俳優とか、そういう人の場合もありますけど)
この作品は、いわゆる「アート系」ではありませんが、しかし、そういう方法論の、最高峰、ということですね。
「断絶」という作品は。
あくまで個人的なアレですが、俺は「イージーライダー」よりもこっちが好きです。
女の子の最後の感じがあんまり好きじゃないんですが、エンディングもいいし。
あと、この作品は色のタッチが好きなんです。ただ自然に撮ってるだけなんでしょうけど。
西部から東に進んでいくにつれて、道の回りの風景が平原から森の中に移り変わっていく感じとか。町の雰囲気も変わるしね。
まぁ、いいですよねぇ。
名作だと思います。
う~ん。
こういう作品が好きなくせに、俺が自分の車を持ってない(というより、免許すらもってない)、というのは、なんていうか、映画を志す人間としては、結構な欠陥なんだよなー。。。
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