2011年1月4日火曜日

「ディープ・エンド」を観る

新春ってことで、毎年この時期はテレビで大量に映画が放送されてたんですが、今年はあんまりない、という状況の中で、いつもの「映画天国」で、「ディープ・エンド」という作品を観る。


まぁ、作品名も知らず、俳優陣もほぼ知らず(ERのコバッチュ先生が出演してます)、という状態で、あんまり期待しないで観たんですが、なんていうか、独特な味、というか、不思議なタッチとストーリー展開で、結構満足してしまった作品でした。


舞台は、カリフォルニア州の、タホ湖(「レイク・タホ」という単語は、ワリと色んな作品に出てきますね)の湖畔の小さな町、です。
というより、湖畔に建っている主人公一家が住む家が、主な舞台。

主人公は主婦で、旦那は海軍の軍人で、「船長をしている」みたいなセリフがあるので、まぁ、中流家庭なんですが、その中でも上の方、ですね。中の上。
で、旦那は一切登場せず、不在のまま、です。この“不在感”は非常に大事で、「一人で家庭を守る主婦」という、そういう感じ。
子どもが三人と、旦那の親父、というのがいて、5人で、田舎なんだけど、湖畔の大きくて綺麗な家に住んでる。

で、長男が思春期で、大学進学の問題もあってちょっと難しい時期で、というのに加えて、なんとゲイで、しかも“よからぬ男”と付き合っている、という。
この、「長男との関係に問題を抱えている」という“前フリ”の語り方が上手で、まぁ、強引っちゃ強引なんですが、話が始まる前に、その息子はすでに「交通事故を起こしたばかり」ということになっているんですね。
「交通事故」って、結構大きなトピックなワケで、普通なら、この手のシークエンスを中心に語りたくなるワケですが、この作品では、サスペンスに使うこともせず、かなり潔くバッサリ削っています。
「事故があった」ということだけが、母親と息子の間に、大きな刺として残っている、という状態から話が始まる。
個人的には、この語り口は面白いと思いました。


で。
長男の“恋人”という男が現れ、そいつが、何の因果か、死んでしまう。
勝手に。(事故死、ということです)

しかし、と。

母親は、そうは思わないワケですね。「息子が殺った」と。そういう勘違いをして、死体を隠したりとか、色々する。(このシークエンスで、一度沈めた死体に、もう一度自分が泳いで会いにいく、というシーンがあります。ここも面白かった。)

で、ここでようやく、“悪役”が登場して、「ゲイの息子」のことをネタにして、恐喝しにくる男が現れる、と。
後半は、この“悪役”と主人公との間の関係性や、二人の心情の揺れ動き、みたいなが描写のメインになるので、まぁ、作品自体のテーマもここにあるワケですね。

つまり、“死体”とか“犯人探し”とか“犯罪隠蔽がバレる”とかは、実はあんまり主題ではない、と。

「サスペンスの衣を借りた人間ドラマ」なんですね。
ここがキモ。
要するに、この“塩梅”が非常に良い、と。
そういう作品でした。


強請にくる男が、揺れるワケですね。
諸々事情があって、男がポツンと家の中に置いてきぼりにされてしまうんですが、その時に、主人公の女性が「護ってきた」家庭、というのに触れるワケです。
その価値を知る、というか。

ここの演出は、浅いと言ったら確かに浅いんですが、半面、ストーリーの流れを損なわない形で、役者の演技に頼りかかりながらも、短い時間で「分かる人には分かる」形で、上手に描写されている。

そこまでの、単に「主人公は三人の子どもを抱える母親である」ことの描写に過ぎなかったことが、ここで、少し意味合いが変わるワケですね。
「そういうのを知らないまま育った人間もいるんだ」と。

ここで始めて、そういう“別の角度”が掲示される、と。

と。


で、ここで「父親の不在」の意味も強まるんですが、その「強請にきたチンピラ」が、「不在の父親の代替」みたいな感じになる。
逆に言うと、チンピラが「父性に目覚める」というか。


まぁ、そういう感じに話が展開していくワケです。

この感じは、ストーリーに派手で分かりやすい起伏がある、ということではなくって、まぁ、かなり地味ではあるんですけど、いいな、と。
人間ドラマ、ですから。
ね。



ただ、「諸々事情があって」と書きましたが、そこのシークエンスに関しては、ちょっと不満です。
偶然に依りすぎ、ですね。
もっと「チンピラの正体を知らないまま話している最中に何かが起こって~」とか、そういう風になれば良かったのになぁ、なんて。
あんなに偶然いろんなことが母親の身に降りかかるか、と。

そこは、ね。
ちょっとイマイチ。

必然性を持たせることは、十分可能だったと思いますね。
作品の構造上、他のもっと大事な部分で“偶然”に依る必要があるワケで、そうである以上、他の部分では偶然性は排除していかないと、と。

まぁ、あくまで玉に瑕、という感じですけど。



演出面では、おそらく監督の好みか、あるいは他のメッセージがあるのかは分かりませんが、ひたすら“水”をイメージさせる演出が繰り返されます。
湖畔、という舞台を強調する為なのかはちょっと分からないんですが、湖面、湖底、プール、「水球」、水槽、釣りゲーム、蛇口の水滴(このショットはかなりクール!)、水面に反射して揺れる光、などなど。
もう徹底してますね。

おそらく、そこに対しての、後半の「赤い車」と「赤いコート」ってことだとは思うんですが。
感覚的には分かるんですが、強い意味合いまでは、ちょっと分かりませんでした。

まぁ、シンプルで綺麗な画だった、と。
それは間違いないっス。


というより、あの舞台だよなぁ。
ロケーションの勝利、という感じはあります。間違いなく。


あとは、シナリオの巧さ、と。



そういう作品でした。



あ、あと、ちょっと思ったのが、こういう恐喝とか、あとは詐欺なんかもそうなんでしょうけど、その手の「犯罪の現場」っていうのは、いわゆる「裏社会にいる人間」と「普通に暮らす人間」が交わる場なんだな、と。
別に、こう書くと極めて普通の、当たり前のことなんですが、なんか、改めてそんなことを思ってしまいました。
普段は別々の世界で暮らしている人間同士が交錯する場、としての、犯罪の場。

自分の創作のヒントになりそうだな、なんて。

まぁ、それはさておき。




小品ながらも雰囲気の良い、佳作だと思いました。

そういう感じで。
でわ。

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