2011年4月23日土曜日

逆回しとスローモーション

えー、ちょっと(この手の音楽に)馴染みがない人には微妙なアレかもしれませんが。。。

ある、個人的にも大好きな、ラッパーの曲のPV、です。
「この場所で会おう」というタイトルの曲。





内容は、都会をサバイブする男女のブルーズ、という感じなんですが。。。

カッコつけていうと、「都会をサバイブする戦士たちの休日」とか、そんな感じ。



で。


この“ブルーズ感”を、スローモーションと逆回しの映像で、かなり上手に表現して、まぁ、なんていうか、「いいなぁ」と。

もちろん、逆回しじゃない部分の映像も完璧で、特に、バーカウンターを背にして、客たちの囲まれてマイクを握ってるショットが個人的には最高なんですが、とにかく、そういう部分も巧くて、いいですよね。
雰囲気が最高。




で、最後に、ちょっとしたアイデアを思いついちゃいまして。。。


逆回しのシークエンスで、最後に軽く、ホテルの廊下を歩くショットがあるんですが、なんか、「最後にそこで本人がくるっと振り返って、前を向いて歩き出す」っていうヤツです。



面白くないですか?



ずっと逆回しで引っ張ってきて、最後にそこだけ、同じようなアレかと思いきや、くるっと振り返って、普通に前を向いて歩き出す。。。



なんか、演出的な意味を付加させることもできそうだし、パッと見のインパクトも結構あるんじゃないかな、なんて。。。


意味的には、夢現(ゆめうつつ)な感じとか、輪廻転生じゃないけど、ちょっとしたループ感の画像上の演出とかにも使えそうだし。。。




と、アイデアを引き出してくれた、という意味でも、良いPVだと思いました。
普通にいい曲だっていうのもありますけどね。




うん。



今日はこんな感じです。
でわ。

2011年4月18日月曜日

帰投しました

やや報告が遅れましたが、宮城県石巻での災害ボランティアから、(一週間前に)帰って参りました。


「被災地の現状」は、使い古された感のある言葉になってしまいますが、やはり「想像を超えた」もので、本当に「瞼にこびりつく」というのはこういうことを言うんだと思います。
個人的には、阪神・淡路大震災の現場にも赴いたことがあるので、多少は“覚悟”というか、耐性みたいなのもあるかとは思っていたのですが。


もちろん、被災者の方々は、大震災の揺れを身体で体感し、その後の惨劇を体験なさっているワケで、俺が受けた衝撃なんてのとはまったく比較にならない、という話ではあるんですが。



一応、このブログは、映画の感想なんかを書いていくモノなので、それに引き付けて書くと、昨年話題になった「ハートロッカー」(傑作でした)に近い、という表現だと分かり易いでしょうか。


目の前に広がる市街の様子がまさしくそういう感じだった、というのはもちろんなんですが、もうひとつ、
あの「意味深なラスト」が、今の自分の心象に、ものすごく刺さってくる感じがしています。



震度6強というかなり強い余震を現地で体験したことや、計6人のチームを束ねる「チームリーダー」の役目を担った、ということもあり、ごくごく短い期間ではありましたが、まさに「ハートロッカー」を地でいくような体験をしたような気がします。



不謹慎/不道徳を承知で敢えて書けば、表現者の端くれとしては、貴重な体験をしたワケですが、しかし、これを「自分の表現」に落とし込む(あるいは、昇華させる)のは、ちょっとまだ難しそうな気がしています。
かなりの時間と手間と、覚悟が必要だなぁ、と。
今の所は、まだ、そういう感じです。




さて。


個人的な話はさておき、やはり「未曾有の大災害」ということで、before/afterで、人々の想像力/受容力、あるいは単に感性は、ここで決定的に変わってしまうんだ、という言説があります。

「表現」はここで大きな変化の時を迎えているのだ、と。
同時に、逆に「以前とまったく変わらない振る舞いをすること」が表現者には求められている、と言われていたりもします。



特に「オタク評論」のフィールドでは、「オタク的表現は大きな衝撃を受けた」「変わらざるを得ないだろう」ということが、いち早く指摘された気がします(気がする、というだけのことだとは思いますが)。


オタク的表現の世界に限らず、やはり、ありとあらゆる表現の世界において、その想像力と受容力、あるいは創造の条件は、変わってしまったのだと思います。
変わってしまった“世界の理”に沿って表現を立てていくのか、あるいは、“世界の理”に逆らって「変わらない何か」の存在を伝えようとするのか。
それは、各々の表現者がそれぞれの立場・思想・方法論・手段で実践していけばいいのだと思います。
どちらでも、それは正しいのだと思います。



ただ、その前に、ひとつ思うことを書いておこうと思います。
それは、16年前に、やはり人々を襲った大きな震災があった、ということです。


ひょっとすると、いま「東京に暮らす自分たち」が受けた「想像力に対する衝撃」を、16年前の関西に居た人たちは、あの時に体感していたのかもしれません。
(あの年には、東京ではオウムのサリン事件があったのですが…)




大震災とオウムがセットで語られる16年前のあの年と、大震災と原発危機が今後セットで語られるであろうこの年とが、なにか、相似形のように感じられます。




あまり意味のあるようなことを書けていませんね。。。



今日のエントリーは、このくらいにしようと思います。



大事なことは、「大きな災厄があった」と。

そのことを、忘れないことだと思っています。




なんか中途半端ですが、この辺で。
でわ。