2012年12月18日火曜日

「007 スカイフォール」を観た

奇しくも「009」の翌日に、有楽町の日劇の大スクリーンで、「007 スカイフォール」を観る。


いやぁ、新作ですよ。ダブルオーセブン。
日劇で観ちゃいましたよ。
(前日に引き続き)ウェブで予約して。


スカイフォール。

単語としては、「空が落ちる」とか、そういう意味合いなハズで、「どんな意味なんだ?」ってトコも含めて、まぁ、かなりテンションが上がった状態で劇場の椅子に座りまして。

クソ長い予告編を踏まえましての、本編。

音がデカい!


まぁ、そこがいいんですけど。


オープニングの、テーマ曲は、歌もアレンジも完璧です!



と、いう感じで、まぁ、よだれを垂らしたイヌ状態で、完全にスクリーンに釘付け・・・。


冷静じゃいられないッスよねぇ。
ボンドガールは(敵味方どっちも)セクシーで最高だし・・・。





本作のテーマは、ずばり「過去」。
そして「垂直落下」。

ボンドはビシビシ落ちます。水の中に。


リニューアル第一弾だった前々作では、「若いボンド」っていうのがキーワードで、そこが注目されたりして、当然支持もされたワケですけど、今作は、「老い」に直面します。

それは、「過去の自分」と対峙する、ということでもあるんですけど、とりあえずそれはさておき。



ビーチリゾートでの“隠棲”から、突如ロンドンに戻ってきたボンドが、再び“ライセンス”を得るために、というシークエンスは、ホントにゾクゾクしましたねぇ。
クールです。

上司Mとのやりとり。

お互い、プロ同士なワケです。
私情を挟まない。プロとして、非情に徹する。

しかし、お互いに対する“情”が見え隠れするワケです。

孤児であるボンド。

そのボンドが、敬愛するマダムM。


ボンドは、Mを詰るワケですよね。詰(なじ)りたい。責めたいワケです。
Mは、謝りたい。
でも、2人とも、「プロである」という矜持を持っている。

そこで揺れ動く、と。
感情が。

いいですよねぇ。2人とも、巧い。
シナリオも巧いです。ホントに。


そして、そうです、Mです。
本作の主人公は、実はボンド=ダニエル・クレイグではなく、Mですよね。

Mの“引退”を記念する作品でもある、という。


思うに、彼女のシリーズ降板というのが、製作の準備段階で決まっていた、と。
で、彼女(ジュディ・デンチ)の“花道”としてのストーリーを書いた、と。

そういうことなワケですよねぇ。

彼女は、シリーズのリニューアルにあたって、ほぼ唯一、前シリーズから続いての起用なワケで、つまり、彼女の存在・存在感っていうのは、シリーズの製作者たちにとっても、とても重要なモノだったワケで。




「老い」を理由に、引退を迫られるM。
Mはしかし、断るワケですが、そこに、「委員長」という肩書きの優男が現れるワケです。

こいつがねぇ。

粋ですよねぇ。

美味しいトコ持ってくんですよ。
優男が。

ホントに巧いこと伏線を回収しやがって。
優男が。

これはホントに、シナリオの勝利ですよねぇ。


Mの“最期”を描く、と。

そこに向かって、色んなトピックを散りばめて、クライマックスに、収斂させていく。
こういう作劇法の、一つのお手本ですよねぇ。



Mは、M自身の“過去”に牙を剥かれるワケです。

ボンドの前任者。

敵は、執拗にMを狙う。

そして、まさに「Mを護る」ために闘うボンド。



ここで、ポイントは、“闘い”が「個人的な動機」に因っている、という部分ですね。
敵はM本人に執着し、ボンドもまさに、Mを護る為に闘う。

何気に、好き嫌いがあるかもしれないストーリー展開ではあるんですが、ただ、“プロとしての意識”と“個人的な感傷”との相克、みたいな、こういうストーリーならではの“面白み”みたいなのもちゃんとある、という意味では、これはこれで、良いんじゃないかな、と。


そして、そのボンドも、自分の過去と対峙をします。
“ライセンス”再給付のためのテストも、過去の自分との比較、ということではそうだし、なにより、故郷に帰るワケですよね。

アンティークみたいな車に乗って。(アストン・マーティン!)


いや、アストンマーチン出てきたときは、ホントに仰け反っちゃいましたけどねぇ。
ホントに。
こんなフック、ありか、と。


で、その「自慢の車」に、Mを載せて、自分の生まれ故郷に向かって走っていくワケです。
まるで、恋人を連れて行くかのように!


“過去”に遡るボンド。



ストーリー中には、Qも登場するワケですが、そのシークエンスでも、テクノロジーに関して、懐古趣味的な、「昔はな~」みたいに鼻白む、みたいなやり取りもあって。
そこでも、「現在と過去」の対比/対立の描写があるワケですけど。



その、故郷の地名が、スコットランドの、スカイフォール。



そして。



そして!



Mは死に、ボンドは、ロンドンに帰ってくる。




ビルの屋上に屹立して、街を見下ろしているのか、あるいは、風に揺れるユニオン・ジャックを見上げているのか。
あるいは、物思いに耽るボンドを、ユニオン・ジャックが見下ろしているのか。



そして!



ラストにびっくり!


なにあの「to be contined」のアレ!



ズルいでしょ!



アレをあそこでっていうのは、ズルいでしょ!



だって、オープニングで、ボンドは1回ライフルで撃たれてるじゃん!



なのに!



なのに!!




ガンバレル!






上手い!



ズルい!




いや、ホントに。




やられちゃった、と。




そういう作品ですよねぇ。




まぁ、実は、シナリオの巧さとは別に、アクションシーンがワリと平板だったり、敵役の描写が物足りなかったり(アイツなら、もっと色々あったでしょ! もったいない!)、ちょっと不満な部分はあるはあるんですけど、結局のところ、「今回はMの話なんだな」ということで、半ば無理やり納得させられちゃう、という、ね。

いや、それで全然いいんですけどね。



面白かったんで。



うん。



というワケで、早くも次作に期待、という感じです。
大期待。



楽しみです。



よい作品でした。
でわ。







2012年12月17日月曜日

「009 RE:CYBORG」を観た

バルト9で、3Dアニメ「009 RE:CYBORG」を観た。



「009」のリメイク、3D、監督は神山健治ってことで、これはもう「絶対に劇場で観ないとダメだ」ってことで、バルト9へ。
わざわざネットで予約して行きましたからねぇ。
一番大きなスクリーンではなかったんですが、観てきました。3Dで。

で、と。


面白かったんですけどねぇ。

幾つか微妙にひっかかるトコがあって、まぁ、期待値が物凄い高かったので、そのせいで評価が辛くなった、という部分はあると思うんですが。

まず、これはもう冒頭からなんですけど、アニメ(セルアニメ)の3Dってことなんですが、その、特に都市(東京、NY)の、背景になる部分というか、その、ビルが屹立している様子が、なんか縮尺があってない気がする、というか、これは単なる違和感なんだけど、そこがどうも気になっちゃってしょうがない、というか。
スクリーンが小さいせいなのかなぁ、とも思うんですけど、なんか、ミニチュアって感じを受けちゃって、で、一度そういう感じになっちゃうと、もうずっとそれが引っかかってしまって。

“質感”とか“重量感”の問題なんですかね?

単純に、遠近感を事後的に(人工的に)表現するのには、遠くの方をボカすワケですけど、そういう案配の問題なのかなぁ、とか。

3Dだから、いわゆる平面のアニメなら許容されているハズの感覚的な違和感が、どうもしっくりきてない、という問題なのか・・・。

はっきりしたことは分からないんですけど、特に前半部分に多用されている、“都市の俯瞰”のショットが、とにかく「なんか違う」と。



ストーリーの部分でも、なんかなぁ、という部分はあって。

というか、単純に、「もっと活劇として作れば良かったのに」というのが、まず浮かんだ感想なんですよねぇ。
そっちに振り切って欲しかったな、というか。
そういうのを描ける媒体だし、それが出来る作り手なハズなワケだし、そういうのを期待している人も多かったと思うんですけど。

振り返ると、アクションの斬れ味も、絵と音とカットの切り方とでグイグイ魅せていく、という部分は、あるにはあったんですけど、時間的にも、そして質的にも、なんか物足りない、という感じで。
もっと出来るでしょ!

古典のリメイクってことで、なんかヘンな抑制効かせちゃったんですかねぇ?


逆に例えば、内省的な方向に持っていくとしたら、009がなかなか“覚醒”しない、とか、そういう形もあったと思うんですね。
「延々と高校生活を繰り返す」という制約を課せられている主人公が、その生活の中で「彼の声(=神の声?)」を聴いちゃって、対話を始めちゃって、テロを起こそうという行動を起こし始めちゃって、それを他のメンバーが抑えようとして、という風に動いていくストーリーだって、あると思うし。
(009と正面から戦って抑え込もうとするメンバーと、“覚醒”すれば正気に戻ると信じるメンバーとの対立、というアングルもあるしね。)

キャラ立ちはねぇ。
さすが古典だけあって、キャラクターそれぞれの個性とかバランスなんかは、ホントに最高だと思うし、“チーム感”みたいなのも、やっぱりグッときますよ。
色んな個性のメンバーが、それぞれの個性を発揮しながら戦う、という、ね。
いいです。ホントに。

でもそれは、やっぱり「アクション」の為の“チーム”なんですよ。絶対。
004の、あのニヒルな感じ!
あの笑みを浮べながら、しかし仲間のために戦う、という、あの感じですよ!

そこは絶対に肯定したい!

だけどね、と。


例えば、戦闘機同士のドッグファイトなんて、悪い冗談ですよ。
そんなのが観たいワケじゃないッス。
「009」なんですから。


サイボーグ部分の、部品をチューンナップしているショットとか、そういうのが見たいワケです。
3Dで!
敵と戦って、サイボーグなのに敵にやられて傷ついて倒れて、仲間に助けられて、そして博士にチューンナップしてもらって、そしてまた仲間と共に闘いに赴く、みたいな!

ま、それはあくまで、個人の勝手なアレですけど。

勝手なアレといえば、もう一つあって、それは、003のお色気。
お色気って、必要か?

例えばボンドガールとか峰不二子の“お色気”っていうのは、必要性が絶対的にあるワケですよ。
ストーリー的に。

でも、003に関しては、別にファムファタールでもないし、必要性がまったくないでしょ。
草薙素子には、“あの身体”であることの必要性があるワケです。“あの身体”で闘うワケだし。

でも、003は、別に自分の肉体を使って闘ったりはしないでしょ?
あんな胸を強調したり脚線美を誇ったりする必要は無いでしょ。
なにか“母性”を投影する、みたいなこともストーリーの流れの中では起こらないし。

製作上、“ニーズ”に応える必要がある、ということならば、別に“そういう役割”を担うキャラクターを立てるべきでしょ。

アニメーションでは、キャラクターの造形も製作者が自由に決定できるワケで、そうである以上、そういうトコはちゃんとしないとダメでしょ。
作品の“主眼”に、例えば「神と相対する人間」みたいな、つまり何かしらのメッセージを語ろう、ということを置くのであれば、尚更、ね。


ちょっと違うんじゃないのかな、と。



うん。



期待してただけにね。



「009」のリメイクなんて、ホントに日本中のクリエーターの垂涎のナントカですよ。
もっと出来ましたよ。
ただ「良かった」っていう、平均点とか、ぼんやりとした印象だけの感想じゃ、ダメなワケです。「009」なんですから。
神山健治なんですから。


ね。


なんか、雰囲気的に、続編がありそうな感じなんで、そちらに期待します。


今日はこの辺で。
でわ。