なんでも、“東映チャンネル”との合同企画ってことで、仁侠映画特集というのをやってて、今月は「北陸代理戦争」。
先月は「県警対組織暴力」だった、ということで。
深作監督、松方弘樹主演の、お馴染みの“実録”作品、ですね。
ただ、この作品の中で、個人的に一番印象的なのは、野川由美子が演じるキャラクターなんですよ。
その美しさはともかく(ホントにハッとする瞬間が、幾つもあります)、このキャラクターの輝きが、後々の「極道の妻たち」というシリーズに繋がったんだな、と。
「仁義なき」シリーズから、「極道の妻たち」へ、という、まぁ、別にそういう風に“映画史”的に考えてみても、だから何なんだ、という話ではあるんですけど。
弟と妹がいる、姉。
飲み屋の女将で、“男”を乗り換えていくようにして、“店”が大きくなっていく。
出会うヤクザは皆、虜にされてしまう。
日本海の荒波の水飛沫を直接被るような、辺鄙な場所に建っている掘っ立て小屋から、町に出て来て、男ぶりで鳴らす若いヤクザの“女”になり、その“男”の為に、敵に抱かれ、しかし、“男”は垢抜けない妹に取られ(寝取られ)、やがて、その元敵の敵に抱かれ、元敵を捨て、やがて再びしかし、という。
作品中では、主役はあくまで松方弘樹なワケですけど、(繰り返しになるけど)その美しさと相まって、野川由美子演じる“女将”のキャラクターは、魅せますよねぇ。
もちろん、他にも印象的なキャラクターっていうのは居るワケで、松方弘樹の舎弟が、刑務所から出獄してきた“兄貴分”と久しぶりに再会する場面は、特に、グッときましたけど。
なんか、脚を引き摺ってるワケですよ。
抗争で、傷を負ったせいで。
だけど、と。
唯一、信用できる舎弟だ、と。
もう一人、刑務所の中で出会った伊吹吾郎と、主人公の三人。
主人公を待っていた妹を併せても、たった四人。
定型的ではありながらも、やっぱり、グッとくる感じはありますよねぇ。
ただ。
ただやっぱり、どうしても“定型”的なんですよ。
もう一つ、年代の設定が、例えば「仁義なき戦い」よりは、ちょっと新しいワケですね。
作品の中の話で、製作年代自体は、たいして変わらないんですけど。
ただ、高々5年ぐらいの間に、演じる俳優たちも、変わってるんですよねぇ。
良く言えば貫禄が出てるし、悪く言えば、エッジが立ってない。
尖ってた部分が、なんか、ね。
画質のタッチも含めて、その辺のところで、やっぱり“迫力”に欠ける、という印象がどうしてもある。
アクションシーンのカメラワークも、よく言えば“お馴染み”。
逆に言えば、やっぱりちょっと、マンネリ。
という感じを、どうしても持ってしまう。
ドロッとした感じが、薄まっちゃってるんですよねぇ。
要素一つ一つに細かい原因があると思うんですけど。
作り手側が狙っていたハズの、「北陸の人間が持つ~」的な、実録路線の持つ(持っているハズの)ドロドロぐちゃぐちゃな感じが、どうも、“定型”が見え隠れすることで、観る側に、なんかズレて伝わっちゃってる、というか。
あくまで、個人的な感想ですけど。
社会全体に漂っていた混沌、ヤクザという“生業”自体が持っていた混沌、ヤクザの抗争という“構図”が持つ混沌。
ここで言う混沌とは、弱肉強食、群れずにいられない弱者、群れることで虚勢を張る男たち、その虚勢で互いの生存を削りあわないといけない男たち、その男たち全体を押しつぶそうとするモノ、などなど、ということになるワケですけど。
ヤクザ映画は、“実録路線”で、その混沌を描くことに成功していたワケですけど、その“混沌”は、もう少し時代が下ると、例えば「女と男」という、そういう、人間個人個人の関係性の中に押し込まれていって、それがヤクザ映画では、「極道の妻たち」という形になる。
“混沌”を、個人同士の関係性の中に押し込むことで、まぁ、社会全体はより“クリーン”になり、しかし、と。
関係性が衝突・破綻したときに、混沌が表出してくる。
やがて、“混沌”や“闇”というのが、もっとミニマムな、一人一人の人間の心の中に封じ込まれていく。
それがどうなるか。
社会はもっとクリーンになるワケですけど。
しかし、ヤクザ映画が、その状況を、描けるかどうか。
描けるハズだとは思うんですが、まぁ、その話はさておき。
代理戦争。
面白いんですけどねぇ。
色んな要素が、なんかちょっとずつズレてる、という印象。
そこに尽きるかなぁ。
ただ、野川由美子のキャラクターが、のちの傑作シリーズを用意したんだなぁ、と。
そういうことを思った作品でした。
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