2014年12月8日月曜日

「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー」を観た

一部で話題になっていた作品、「ジョン・ラーベ ~南京のシンドラー」を観た。


観てきました。
京都市内の、社会福祉協議会の持ってる施設の中の会議室での、上映会、という形で。
料金は、1000円。

南京事件を扱っている、ということで、配給会社を通じての一般公開はされない、という、まぁ、その辺の話は、ここではそんなに深くは触れませんが、そういう諸々の“事情”があった、という作品です。
たまたま、なんかの拍子に、「京都でも上映される」ということが分かって、いい機会だから、ということで行ってきました。

なんか、盛況でした。
やっぱりそういう“事情”が、逆に宣伝効果を生んでいるんだと思います。
客層は、やっぱりちょっと、特徴ありましたけどね。

まぁ、こういう、市民の手による上映会、というのは、とてもいいことだと思うんで、今回のこの作品に関する“活動”が、今後の一つのメルクマールになればいいなぁ、と。



で。



ざっくりとストーリーを紹介してしまうと、南京に駐在している、ドイツ・シーメンス社の支社長、という人物が主人公で。名前は、ジョン・ラーベ。
ドイツ人です。なので当然、「ナチス」「ハイル・ヒットラー」とか、そういう単語が出てきます。
日本軍の侵攻が近い、という状況で、南京にいる欧米人を中心に、市内に中立地域(安全地域)を設けて、そこで民間人を保護しよう、ということになるんですね。
赤十字のマークが掲げられて、国際委員会、みたいな名称で。

で、主人公たちが奮闘するんですが、という話。



日本での配給・公開に関して、恐らく一番尻込みされたであろうポイント、というのがあって、それを最初に挙げてしまうと、それは、「皇族の司令官」、というところ。
その描き方、ということですね。
そこに関しての個人的なアレは、なんていうか、不勉強なのもあって、ちょっと是非/正否云々は言えないんですけど、まぁ、ここでしょう。
演じているのは、香川照之。



そのこと自体は、さておき。



ひとつ言いたいのは、シナリオ面で、ちょっと“弱い”んですよねぇ。
弱い。
脚本がイマイチなんです。


だから、こういう言い方はちょっとアレですけど、それも配給されなかった一因だったんじゃないのかなぁ、というか。

なんていうか、「想定されるであろうゴタゴタ」を突破してでも公開したい、という作品ではなかった、という感じだったんじゃないのかなぁ、と。


“弱さ”というのは、幾つかあるんですけど、まず具体的に言ってしまうと、国際委員会を立ち上げよう、というシークエンスで、主人公が周囲(の欧米人)を裏切って帰国してしまうかもしれない、というシチュエーションになるんですね。
設立の準備の為の会議に主人公が現れない、という場面。もう日本軍の侵攻が始まっているのに、という。
ここで、主人公が現れないことに憤ったメンバーたちが、主人公が帰国便に本当に乗っているかどうか、というのを、港に確かに行くんです。
で、港でのシーン、というのが、ワリと派手な感じで描写されるんですけど、これ、全然要らないんですよ。

切羽詰ってるのに、わざわざ皆で雁首揃えて港まで行かないでしょ。
作劇的には、まったく無駄なシークエンス。

主人公が妻だけを帰国させる、という決意を描写する為のシーンなんですけど、ここに物凄くおカネ掛かってるんですね。
巨大な客船、襲撃してくるゼロ戦、モブ、港のセット、などなど。
爆破のショットなんかもあって、喩えCGだとしても、おカネは掛かってますから。

派手なんですけど、意味がない。



もうひとつ。
これはストーリーの構造の問題なんですけど、「少数/個人を救おうとして、多数/全体が危機に陥る」というモチーフが、繰り返し使われるんです。

これは、様々なスケールで同じ構図の悲劇が、という、意図的な設定だと思うんですけど、でも、個人的には逆効果に思えてしまいまして。

サスペンスの作劇法としては、なんていうか、一般的過ぎるアレ、というのもあるんですけど。

なんていうか、「少数派も多数派も、『軍の上層部(≒エリート)』という『別の少数派』に踏み潰されてしまう」というのが、戦争なりファシズムなりを語る映画での描かれるべき本質なワケですよ。


史実を脚色している、ということである以上、しょうがない部分もあるかとは思うんですけど、そういう作品だからこそ、シナリオにおける工夫とかギミックとか、“強さ”が求められるワケで。

詳しく“構図”を説明してもいいんですけど、ポイントが逸れたりするのもアレなんで、このくらいで。


もうひとつ。

これは演出面の話でもあるんですけど、“逃げた兵士”を追って、日本兵が病院に入ってきちゃう、というシークエンスがあるんですね。
緊張感があって、しっかり作られたシーンなんですけど、ここで、例えば「手術室に入ってきた日本兵が、そこにいた大勢の中国人たちの視線に、思わず怯む」とか、そういう描写があれば、もっともっと深みが出て来ると思うんです。

怯えが生む暴力性。

虚勢、とも言いますけど。

中国人たちの無言の圧力に怯えた兵士が、思わず、無差別に発砲してしまう、という、そういうシーンになっていればな、と。

演出的には、ホンのちょっとのアレなんですけどね。
でも、ストーリーに深みを加えていくのは、そういう、ちょっとした部分のアレなワケで。

そういう“浅さ”みたいなのは、ちょっとマイナスポイントではないかなぁ、と。



あと、これは作品本体とは関係ないんですけど、普通に字幕に脱字とかあるんですよねぇ。
日本での公開の経緯云々を考えると、しょうがないっちゃしょうがないんですが、作品に対する熱意なんかを思うと、ちょっと残念。
あと、セリフに対して、字幕が出るのが、微妙に遅い。
この違和感みたいなのは、俺だけのアレかもしれませんが、若干気になりました。

まぁ、そういう細かいアレも、さておき。





その、「中立地帯」というのは、「ユダヤ人のゲットー」の、逆の意味でのメタファーなワケです。
ヨーロッパでは、ナチスドイツがユダヤ人を、街中の「ユダヤ人地区」に押し込んで、最終的には虐殺したワケですけど。
南京では、その逆。
日本軍が侵攻してきて、ドイツ人が市民を、街中の「中立地帯」で救う。

これは、現代のドイツ人にとっては、ある種の救いでもあるワケで。

要するに“そういう作品”なんだろうなぁ、と。



ドイツ人にも正義の為に働いた人間がいて、という。
日本軍の中にも、虐殺を命じた人間とそれを実行した人間がいて、命令に苦悩した人間もいた、という、それと同じ構図がドイツの側にもあって、と。
そういう構図を描くことで、少なくともドイツの中には、救われるような気持ちになる人間もいるんだろうなぁ、と。

もちろん、それで全然良いワケですけど。




作品全体としては、良い作品ですよね。
佳作って感じで。

セットもちゃんと作り込んでて、特に砲撃を受けた後の廃墟は、良かったです。


自主上映、という形も含めて、貴重な、良い映画体験だったなぁ、と。

そういう感じですね。



機会があれば、ぜひ観てみて下さい。














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